日本学士院

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日本学士院会員の選定について

日本学士院は、令和元年12月12日開催の第1134回総会において、日本学士院法第3条に基づき、次の7名を新たに日本学士院会員として選定しました。

(1)第1部第2分科
氏名 井上正仁(いのうえ まさひと) 井上正仁
現職等 東京大学名誉教授、法務省特別顧問
専攻学科目 刑事訴訟法
主要な学術上の業績

 井上正仁氏は、従来の刑事訴訟法学において優勢であった二元的刑事手続モデル論が、議論の過度の図式化・短絡化や実務・裁判例の軽視などを生んできたとの問題意識から、捜査・証拠上の先端的問題を中心として、個々の問題ごとに錯綜する利害関心の緻密な分析を踏まえ、関連する法規の沿革や基本にある法原則にまで遡り、外国法制に関する幅広い識見を活かしつつ、掘り下げた検討を行うことにより、合理的で理論的一貫性を有する解決を導くことに努めました。そして、それらの個別研究の成果を総合して、緻密で実際性をも兼ね備えた独自の理論体系を構築し、学界のみならず立法や判例・実務に対しても大きな影響を与えました。中でも、違法収集証拠の排除捜査上の強制処分と任意処分に関する分析・理論構築における功績は、特に顕著です。


【用語解説】

二元的刑事手続モデル論
刑事手続の在り方を、真実の解明と犯人の必罰を目標として、被疑者の自白の追及に重点を置く糺問的な捜査と、その結果を引き継いで裁判所が、自らの職権と責任で真実を究明する公判とからなる「実体的真実主義・職権主義」型モデルと、被疑者・被告人等の人権を保護する適正手続の保障を理念とし、捜査から公判を通じて捜査・検察側と被告人側とが対等な立場で対抗し、両者の攻防、立証・反証を基に、中立の裁判所が被告人の有罪を認定できるだけの証明がなされたかを判定するという「適正手続主義・当事者主義」型モデルとに両極化させて対比し、現行刑事訴訟法は後者を理念とするものと位置づけることにより、その可及的貫徹を図る方向で演繹的に種々の問題点の解決や関連法規の解釈を導こうとする議論。
違法収集証拠の排除
捜査機関により違法な手続で収集・獲得された証拠は公判で証拠として採用しないこと。
捜査上の強制処分・任意処分
捜査において犯罪事実を明らかにし、証拠を収集・保全するために行われる捜査機関の処分(行為・措置)のうち、相手方の重要な権利・利益に対する――その者の意思に反する――侵害・制約を伴うものを「強制処分」といい、伴わないものを「任意処分」という(異説もある)。強制処分は、刑事訴訟法にこれを認める明文規定があり、そこに定められた要件・手続(多くの場合、憲法で保障された裁判官の令状によることが必要)に従う限りにおいてのみ許される。
(2)第2部第4分科
氏名 北川 進(きたがわ すすむ) 北川進
現職等 京都大学高等研究院物質-細胞統合システム
拠点長・特別教授
専攻学科目 錯体化学
主要な学術上の業績

 北川 進氏は、一定の結合数と結合方向性をもつ金属イオンと有機分子を組み合わせて、ナノメートル精度で制御された規則的な空間構造、形状、さらには機能をもつ物質(多孔性金属錯体)を自在に設計、合成する化学を拓きました。この多孔性物質は軽量かつ大きな表面積を有し、その多くが熱や圧力などの物理的刺激や、水、酸、アルカリによる化学的刺激に対して安定にその構造や機能を保つことができます。これにより、既存の物質では困難であった、気体物質の低エネルギーでの安全な貯蔵・輸送、精密な選択的分離、さらに効率的化学変換を可能にしました。北川氏の新化学材料技術は、国内外に広く実践されつつあり、環境、資源、エネルギー、健康などの諸問題の軽減・解決に貢献するものです。


【用語解説】

金属錯体
配位結合により結ばれた有機分子と金属イオンが生みだす物質。配位結合とは、有機分子と金属イオンとの間に生じる結合で、両者を結びつける接着剤の役割をする。
多孔性物質
ナノサイズの小さな空間を多数持つ固体物質のこと。従来から知られている活性炭やゼオライトも多孔性物質の一種である。
環境、資源、エネルギー、健康などの諸問題
諸問題の原因として、多くの気体分子が関与している。例えば、環境、資源には二酸化炭素や一酸化炭素、エネルギーには水素、メタン、アセチレン、健康や生命の課題には酸素、一酸化窒素などが挙げられる。
多孔性金属錯体物質
(3)第2部第4分科
氏名 梶田隆章(かじた たかあき) 梶田隆章
現職等

東京大学宇宙線研究所長・教授、
東京大学卓越教授、東京大学特別栄誉教授、
東京大学次世代ニュートリノ科学連携研究
機構長

専攻学科目 宇宙線天文学
主要な学術上の業績

 梶田隆章氏は、宇宙から飛来する宇宙線が地球を取り巻く大気と衝突した結果作られるニュートリノスーパーカミオカンデにおいて観測し、ニュートリノ振動の現象を発見しました。
梶田氏はミューニュートリノと電子ニュートリノを識別する方法を確立して、地球の裏側から到来するミューニュートリノに顕著な欠損があることを発見し、詳細な解析により、この現象は、ミューニュートリノが飛行中に他の種類のニュートリノに変化するニュートリノ振動であることを証明しました。
ニュートリノ振動はそれぞれのニュートリノが異なる質量を持つ場合において生ずる現象であり、この発見はニュートリノがゼロでない質量を持つことの決定的な証拠となりました。



【用語解説】

ニュートリノ
素粒子の一種で、電荷を持たない。物質との相互作用が弱く、観測が難しい。電子ニュートリノ、ミューニュートリノ、タウニュートリノの3種類がある。
スーパーカミオカンデ
岐阜県飛騨市の旧神岡鉱山内に設置された大型の水タンクを備えた実験装置。
スーパーカミオカンデ
(4)第2部第5分科
氏名 榊 裕之(さかき ひろゆき) 榊裕之
現職等

東京大学名誉教授、豊田工業大学名誉教授、

学校法人トヨタ学園常務理事

専攻学科目 半導体電子工学
主要な学術上の業績

 榊 裕之氏は、1960年代後半から電子の量子的閉じ込め効果の解明と活用に関する先駆的研究を進め、半導体ナノ薄膜を用いた高性能FETや光素子の学術的基礎の確立と発展に大きく貢献しました。また、1970年代半ば以降、ナノ薄膜中に格子状や碁盤目状などの人工障壁を導入することで、膜中の電子の運動を量子的に制御したり、閉じ込める量子細線・量子ドットなどを世に先駆けて着想し、量子細線FET量子ドットレーザー量子ドット光検出器などを発明しました。そしてナノエレクトロニクスとナノフォトニクスの研究を先導し、固体物理学と電子工学の新領域を開いて、世界的に若手研究者の育成と学術の推進に大きく貢献しました。


【用語解説】

量子的閉じ込め効果
電子は、10ナノメートル(nm)かそれ以下の空間に閉じ込めると、粒子的運動が禁じられ、特定の周波数で振動する量子的な波として振る舞う。これを量子閉じ込めという。
ナノ薄膜
厚さが1nmから10nm程度の薄膜状物質をナノ薄膜という。膜内の電子は、膜に沿っては粒子的な運動を行うが、垂直方向には量子的な波として振る舞う。
FET:電界効果(Field-Effect)トランジスタ
FETは、半導体—絶縁膜—金属膜からなり、金属と半導体間に加える電界の大小で、半導体側に貯まる電子数を増減させ、半導体表面に沿う電導度を制御する素子である。
量子細線・量子ドット
断面寸法が10nm級の半導体細線を量子細線と呼び、同様の寸法の半導体粒子を量子ドットと呼ぶ。その内部では、電子の運動の自由度は、1次元かゼロ次元に低下する。
量子細線FET
断面寸法が10nm級の極細半導体を電気伝導層に用いた電界効果トランジスタ(FET)。細線内の電子が1次元伝導性を示すことや高密度集積化に適する特徴などを持つ。
量子ドットレーザー
半導体レーザーの一種で、光を発生させる層(活性層)の中に断面寸法が10nm級の半導体の微粒子(量子ドット)を埋め込んだもの。種々の素子特性が改善される。
量子ドット光検出器
断面寸法が10nm級の半導体の微粒子(量子ドット)を埋め込んだ光検出素子。入射光の作用でドット内の電子や正孔の数を増減させ、その変化を電気的に検出する。
ナノフォトニクス
nm級の各種のナノ構造を用いて、光子の発生・制御・検出を行う科学・技術のこと。なお、フォトニクスは、光子(光の粒子的描像)を探索・活用する学問を意味する。
量子薄膜・量子細線・量子ドット
(5)第2部第7分科
氏名 笹月健彦(ささづき たけひこ) 笹月健彦
現職等

九州大学高等研究院特別主幹教授、
国立国際医療センター名誉総長、

九州大学名誉教授
専攻学科目 免疫遺伝学
主要な学術上の業績

 笹月健彦氏は、HLAがウイルスや細菌、スギ花粉などの非自己抗原ペプチドに結合し、T細胞を介して免疫応答を制御することを証明し、これが感染症やアレルギー、自己免疫疾患移植片対宿主病の感受性や抵抗性を決めていることを明らかにしました。一方、HLA/MHCは胸腺において、様々な自己ペプチドと結合し、これを認識するT細胞を正または負に選択しますが、たった一種類のペプチドと結合した、たった一種類のHLA/MHCだけで105種類のT細胞を選択することを明らかにしました。すなわちHLAは、胸腺における多様な免疫応答の枠組決定と、末梢における個々の免疫応答の制御という二段階において、ペプチドとの結合とT細胞による認識を介して重要な役割を演じていることを示し、感染症や複雑な疾病の病因解明と克服への道を拓きました。


【用語解説】

HLA/MHC
臓器移植に際して拒絶反応を引き起こし、標的となる分子を支配する一連の遺伝子群はMHC(Major Histocompatibility Complex:主要組織適合遺伝子複合体)と呼ばれる。MHCは本来遺伝子の複合体として定義されたが最近はしばしば遺伝子産物(蛋白分子)の複合体としても使用されるようになった。ヒトでは白血球の抗原として発見され、HLA(human leukocyte antigen)と呼ばれる。HLAには、クラスⅠ(A, B, C)分子とクラスⅡ(DR, DQ, DP)分子が存在し、それぞれの遺伝子には数千に達する多型性(個人差)が存在し、ヒトゲノムの中で最も多型性に富む。HLAクラスⅠ分子は全ての細胞膜表面に発現するのに対し、HLAクラスⅡ分子は免疫担当細胞(B細胞、マクロファージ、樹状細胞)などに発現する。免疫応答の制御を司る分子であることが証明された。
自己免疫疾患
非自己の病原体や花粉などの外来異物に対する免疫応答と異なり、自己のHLAと結合した自己のペプチドに対し、免疫応答したことに由来して自己の臓器や組織が傷害あるいは異常に活性化され、バセドウ病(グレーブス病)、関節リウマチやⅠ型糖尿病などが発症する。
移植片対宿主病
白血病治療目的で行われる非血縁者間の骨髄移植に際して、移植された他人の骨髄由来のT細胞が、患者(宿主)の細胞や組織のHLAを非自己と認識して、免疫反応を起こし、細胞や組織を傷害することによる疾病。
HLAによる免疫応答制御
(6)第2部第7分科
氏名 垣添忠生(かきぞえ ただお) 垣添忠生
現職等

(公財)日本対がん協会会長、
国立がんセンター名誉総長

専攻学科目 泌尿器科学
主要な学術上の業績

 垣添忠生氏は、泌尿器科医として膀胱がんの基礎研究と臨床において顕著な業績をあげました。膀胱がんが乳頭状と結節状のがんという基本型から成り、乳頭状がんが結節状がんに移行する過程を明らかにしました。また、かつては膀胱がんに膀胱全摘除術を実施すると、回腸導管と呼ばれる患者の回腸で作製した導管に尿管を移植して、尿を右下腹部皮膚面に開けた孔に誘導し、採尿袋で採取する方法が一般的でした。垣添氏は尿道を温存してもがんが再発する恐れのない条件を明らかとし、この条件に合う患者には、患者の腸を使って作製した新膀胱を尿道に吻合することで、膀胱全摘除後も尿道から自然排尿が可能な術式を開発しました。男性では国内初(1987年)、女性では世界で初めて(1992年)この手術に成功し、患者の生活の質の著しい向上に寄与しました。


【用語解説】

乳頭状と結節状のがん
膀胱がんは、約2/3が乳頭状・表在性のがんが多発するタイプで、約1/3が結節状・浸潤性のがんが単発するタイプである。前者は再発を繰り返し、内視鏡切除を行うことが多い。患者の死につながる可能性は低いが、度重なる膀胱鏡検査や手術などにより患者の生活の質は低下する。一方、後者は膀胱全摘術を施術しても死に至る可能性が高い。
回腸導管(左下図)
1954年にブリッカーが確立した術式。この方法では採尿袋を一生涯使用しなければならず、患者は孔と採尿袋の間からの尿漏れや、それによる皮膚炎で採尿袋が使用できなくなるなどの問題に悩まされ続けた。
尿道から自然排尿が可能な術式(右下図)
回腸を約60㎝切離し、腸間膜(青色部分)をつけたまま、ラグビーボール状に縫合して新膀胱を作製する術式。これに両側の尿管を移植し、新膀胱の下端を尿道に吻合する。男子の尿道は約30㎝と長い。女子は尿道が3-5㎝と短いが、共に新膀胱形成手術が可能である。
ブリッカーによる回腸導管 尿道から自然排尿が可能な術式
(7)第2部第7分科
氏名 藤吉好則(ふじよし よしのり) 藤吉好則
現職等

東京医科歯科大学特別栄誉教授、

京都大学名誉教授、(株)CeSPIA取締役
専攻学科目 構造生理学
主要な学術上の業績

 藤吉好則氏は、生物試料を観察する場合の最大の問題である電子線損傷を低減できるクライオ電子顕微鏡の開発を通して、水チャネルイオンチャネルギャップ結合チャネルタイト結合などの高い分解能での立体構造解析に成功し、これらの生理機能を構造から理解する研究を先駆的に進めました。例えば、水チャネルの構造を水分子が分離して観察できる高い分解能で解析することにより、水を選択的に速く透過する分子機構を解明しました。また、アセチルコリン受容体やギャップ結合チャネルのゲーティングモデルを提案し、タイト結合の構造モデルも提案しています。このような構造生理学的研究により、医学や薬学、生命科学の発展に貢献しています。


【用語解説】

電子線損傷
電子線によって分子の結合が切れて、生物試料などが壊れてしまうこと。
クライオ電子顕微鏡
マイナス269℃という液体ヘリウム温度にまで試料を冷却して高い分解能の像を撮影できる電子顕微鏡。
水チャネル
ヒトの身体は60%以上がイオンなどを含む水によって構成されており、13種類の水チャネルが様々な生理機能に関わっている。アクアポリン-1やアクアポリン-4などの水チャネルは、1秒間に30億分子もの水を透過しながらいかなるイオンもプロトンも透過させない。藤吉氏らは、独自に開発したクライオ電子顕微鏡を用いて水チャネルの構造を高分解能で解析し、水を選択的に速く透過する分子機構を解明した(図1参照)。図1
図1水チャネルの構造。NPA配列の位置に水1分子だけが透過できる狭い部分が形成され、短いヘリックスによる静電場とそれに呼応して配置されたカルボニル基とアミド基によって水が入りやすい8か所が形成される。
イオンチャネル
イオンを選択的に透過するチャネルで、K+イオンチャネルのイオン選択性の機構をMacKinnonが解明し、水チャネルの発見者と共に、2003年にノーベル化学賞を受賞した。他のイオン選択性の機構やゲーティング機構は残された研究課題である。
ギャップ結合チャネル
イオンや水溶性物質の透過機能を担う細胞接着性チャネルで、コネキシンやイネキシン分子で構成されている。発生制御や、炎症、細胞死、免疫応答、神経の情報伝達などに関わっている。
タイト結合
細胞間のバリアの機能を担うと共に、パラセルラーチャネルの機能も有している。藤吉氏らは、そのカギとなるクローディンの構造を解析し、タイト結合モデルを提案した(図2参照)。図2
図2タイト結合を構成するクローディンの構造とそのモデル。
アセチルコリン受容体
神経筋接合部で放出されるアセチルコリンによりチャネルの開閉を制御する受容体で、脳・神経系からの情報に従い、筋肉を制御する上で重要なチャネル。