日本学士院

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日本学士院客員の選定について

日本学士院は、平成22年2月12日開催の第1036回総会において、下記の2名を日本学士院客員に選定しましたので、お知らせいたします。

氏名 チェン・ニン・ヤン(楊振寧)博士
Prof. Chen Ning Yang
Prof. Chen Ning Yang
現職 清華大学 教授
居住地 中国 北京市在住
専攻学科目 理論物理学
生年 1922年(87歳)
略歴

1942年 国立西南連合大学卒業
1944年 清華大学修士課程修了
1948年 シカゴ大学博士号取得
1948年―1949年 シカゴ大学 専任講師
1949年―1966年 プリンストン高等研究所教授
1966年―1999年 ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校
A.アインシュタイン教授
1966年―1999年 ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校
理論物理学研究所 所長
1986年― 香港中文大学 Distinguished Prof-At-Large
1993年―1998年 香港中文大学 
数理科学研究所 所長
1998年― 清華大学 教授

賞罰
1957年 ノーベル物理学賞 (T. D. Lee博士と共同受賞)
1965年 米国科学アカデミー会員
1980年 ラムフォード賞(R. L. Mills博士と共同受賞)
1993年 ベンジャミン・フランクリン・メダル (フランクリン協会) 
1994年 バウアー賞 (フランクリン協会)
1999年 オンサーガー賞 (アメリカ物理学会)
2001年 キング・ファイサル国際賞 (キング・ファイサル財団)

主要な学術上の業績

 チェン・ニン・ヤン博士は、1922年清華大学の数学の教授の長男として、中国安徽省に生まれた。1942年昆明の国立西南連合大学卒業後、清華大学の修士課程を経て、シカゴ大学のE.フェルミの許で1948年に博士号を取得。1年後プリンストン高等研究所の終身教授となる。1956年 “パリティー非保存”の理論で、ツン・ダオ・リー博士と共に素粒子物理学に新しい時代を拓いた。この功績により1957年34歳の若さでノーベル物理学賞を受賞した。パリティーの保存は、長い間、基本的な原理と見なされてきた。原子から放射される光の放射は、パリティー保存に基づく“選択規則”によって説明され、電磁相互作用のみならず、強い相互作用でもパリティーの保存が成り立つことが実証されていた。ところが、“弱い相互作用での謎”を解明するために、ヤン博士は常識を破る“対称性の破れ”を提案し、それを実証する実験公式をも導出した。これに対する世の中の反応は冷たく、ノーベル物理学賞のW.パウリですら、「神が左効きだとは信じられない」と言ったという。しかし、コロンビア大学のC. S. ウー博士らによって、パリティーが破れていることが実験で示され、“対称性の破れ”の概念は、その後の物理学の進展に不可欠のパラダイムとなった。
ヤン博士の活躍はそれに止まらない。1954年には、R. ミルズ博士と共に“ヤン・ミルズ理論”と呼ばれる非アーベル型ゲージ理論を定式化した。この理論は、“あらゆる相互作用の統一理論”に新しい枠組みを作り、近代物理学の基礎を築き、再度のノーベル物理学賞に値すると目されている。この論文は、当初全く省り見られなかったが、20年を経て、素粒子理論分野で最も引用数の多い論文として高く評価されるに至った。さらにヤン・ミルズ理論は、“ファイバーバンドル”と呼ばれる数学で記述できることが示され、数学にも多大な貢献を果たし、数学研究者の恰好の研究対象にもなった。ヤン・ミルズ理論のトポロジカルな性質を研究したM. アティヤー博士, I. シンガー博士の研究はフィールズ賞やアーベル賞に至っている。 
ヤン博士は、さらに統計力学における格子模型の解を保証する“ヤン・バクスター方程式”を見い出し、“量子群、組みひも理論等の数学”の発展の基礎を与えた。ヤン・バクスター方程式で量子群を発見した神保道夫博士などの日本の数学者にも多大な影響を与えた。また、超伝導や超流動などで量子状態の凝縮が起こると非対角的長距離秩序が生じ、量子渦、ジョセフソン電流などが発生することをも示した。
ヤン博士は、その深さと幅においてニュートン、マックスウェル、アインシュタインと肩を並べると言っても過言ではない。87歳の現在、今なお、自ら研究を行っている。
ヤン博士は、日本人研究者に対して多大な影響を与えてきた。たとえば、2008年度のノーベル物理学賞に輝いた小林誠博士、益川敏英氏博士の仕事も、ヤン博士の業績に基づいていると言える。小林・益川博士は、クォークがまだ3種類しか見つかっていなかった時代に、最低6種類のクォークが存在するという大胆な可能性を指摘したが、それは“CP対称性(粒子と反粒子を交換する対称性とパリティー対称性を組み合わせたもの)の破れ”の理論的考察から生まれたものであり、まさしくリー・ヤンによるパリティー非保存の発見の延長線上に位置づけられるものである。
日本の若者に対する教育にも熱心で、2005年には“物理100年”の記念事業や仁科記念講演会、さらに2009年には、つくばで開催されたAsian Campに参加し、江崎玲於奈博士、小柴昌俊博士、野依良治博士、田中耕一博士らのノーベル賞受賞者と共にアジアの高校生、大学生と一週間を共に過ごしている。ここには天皇皇后両陛下もご訪問された。
以上のようにヤン博士は、国際的に非常に高い業績をあげ、それにより日本の社会および学術の発展に大きく貢献した。

氏名 イライアス・J・コーリー博士
Prof. Dr. Elias James Corey
Prof. Dr. Elias James Corey
現職 ハーバード大学、ケンブリッジ大学 教授
居住地 米国 マサチューセッツ州在住
専攻学科目 有機合成化学
生年 1928年(81歳)
略歴

1948年 マサチューセッツ工科大学卒業
1951年 マサチューセッツ工科大学 Ph.D.
1951年-1953年 イリノイ大学Instructor
1953年-1955年 イリノイ大学 Assistant Professor
1959年-現在 ハーバード大学教授
1965年-1968年 ハーバード大学 Chairman of Chemistry Division
1965年-2000年 ハーバード大学 Sheldon Emery Professor
1997年-現在 ケンブリッジ大学(英国)Todd Professor
2000年-現在 ハーバード大学 Sheldon Emery Research Professor

賞罰
1989年 日本国際賞(国際科学技術財団)
1989年 勲二等旭日重光章
1990年 ノーベル化学賞
2004年 プリーストリー賞(アメリカ化学会)

名誉学位
シカゴ大学、オックスフォード大学、ケンブリッジ大学、ヘルシンキ大学、北海道大学 ほか20大学余

主要な学術上の業績

イライアス・J・コーリー(Elias James Corey)教授は、1928年7月12日米国生まれで、有機合成化学の分野で傑出した研究業績をあげている。その貢献を一言で表現するとすれば、まさに「有機合成化学の近代化」といえる。1956年、若干28歳の若さでイリノイ大学教授となり、その3年後の1959年には、早くも現在所属するハーバード大学化学科に教授として招かれている。このことだけを見ても、研究経歴の初期から注目の的となり、今日に至るまで現代有機合成化学の先駆者として貢献してきたことが分かる。
コーリー教授の研究は、有機化学から生物有機化学、さらに有機合成化学へのコンピュータの導入まで、広範な分野にまたがっている。1990年にはノーベル化学賞を受賞しているが、その受賞理由である「有機合成における論理と方法論の開拓」が示すように、複雑な構造をもつ有機化合物の合成と有機合成反応の開発がその中核をなしている。一方、同じく有機合成化学の分野では、さらに遡ること25年の1965年に、R.B.Woodward教授が「有機合成の芸術的技巧による輝かしい業績」でノーベル賞を受賞しているが、両教授の受賞理由を比較すると、コーリー教授がこの分野に改革をもたらしたことがよく分かる。すなわち、Woodward教授が有機合成化学に「芸術的な手腕」を発揮して受賞したのに対し、コーリー教授はそこに斬新な発想で「論理」を持ち込むことにより受賞に至っている。
1960年代まで、複雑な化合物の合成は天才的な閃きによる“芸術的な仕事”と言われていた。コーリー教授は、これをもっと合理的に進めるべく、“論理的な合成経路探索の原理(逆合成解析、Retrosynthetic Analysis)”を提案した。この考え方によって、当時世界の注目を集めていたプロスタグランジン、植物生長ホルモンであるジベレリン、抗喘息作用をもつギンゴリドなど、100を越える複雑な生物活性化合物の合成を、極めて効率的に達成した。同教授はこの考え方を著書「The Logic of Chemical Synthesis」にまとめており、これは各国で翻訳されて世界中の有機化学者に多大なインパクトを与えた。複雑な化合物には、多くの原子間結合があるため、数え切れないほどの合成経路が考えられる。コーリー教授は、こうした多くの経路の中から優れた合成経路を論理的に探索することを可能にし、コンピュータ技術を補助手段として導入する新たな領域を開拓した。この考え方は、瞬く間に広く受け入れられ、有機化学の分野で様々なデータベースやコンピュータソフトウェアが開発されるきっかけとなった。
またコーリー教授は、有機合成反応の開発の重要性について次のように述べている。「標的化合物の合成プランの作成や具体的な合成実験は、ともに現在我々が手にしている反応と反応剤によって厳しく制約されている。従って、新しい合成方法を開発することは、具体的な合成研究に大きな改革をもたらす。」コーリー教授は、有機合成への応用を視野に入れて、多くの実践的な反応剤や保護基などを開発している。有機合成化学の分野にニッケルや銅反応剤などの遷移金属化合物や光反応を積極的に導入したり、官能基の反応性を逆転させる考え方(Umpolung)を提案し、さらに硫黄・リンのイリドや優れた酸化剤をも開発している。これらは、極めて実践的な反応剤や合成法として広く利用されているばかりでなく、その後の合成反応や反応剤の開発に先導的な役割を果たしてきた。最近では、還元や環化反応などで用いる不斉触媒の開発にも大きな成果をあげており、酵素に匹敵する働きを持つ人工酵素と言う意味で、同氏はこれらを“Chemzyme”と呼んでいる。
コーリー教授は、「医薬品開発の鍵を握るのは有機合成化学である。」と主張し、有機合成化学を通じて生命科学などの周辺領域にも多大な貢献をなしている。例えば、1989年には日本国際賞(Japan Prize of Science)を「プロスタグランジンおよび関連物質の合成開拓と医薬創製への寄与」で受賞している。プロスタグランジン関連物質は天然から極微量しか取り出せず、同教授の合成研究なしにはこの分野の医薬品の発展は無かったであろうと言われている。新しいところでは2006年、世界的な問題になっているインフルエンザの治療薬であるタミフルを、自ら開発した不斉触媒を使って短行程で人工合成している。「世界のための研究だから」と敢えて特許を取得しなかったことでも話題を呼び、その工業化が期待されている。
また、コーリー教授は大の親日家でもある。同教授の門をたたき、教えを受けた日本人研究者は70名近くにのぼり、現在学界や産業界で大活躍している。このようにコーリー教授は、日本の今日の有機合成化学の隆盛に計り知れない功績があり、日本化学会、日本薬学会、有機合成化学協会の名誉会員になっている。これらの功績により、わが国でも先に述べた日本国際賞(1989年)を受賞し、勲二等旭日重光章(1989年)を贈られている。また2004年には、アメリカ化学会で最も名誉あるプリーストリー賞も受賞している。