ニュースレター No.34 会員寄稿
目次
会員寄稿
IL-6と共に半世紀
岸本忠三 会員
免疫学専攻

昭和14年大阪府生まれ。大阪大学医学部卒業、米国ジョーンズ・ホプキンス大学リサーチフェロー・客員助教授、大阪大学医学部教授、大阪大学長、総合科学技術会議議員等を歴任。現在、大阪大学免疫学フロンティア研究センター特任教授。平成7年より日本学士院会員。 文化功労者、文化勲章、日本国際賞、クラフォード賞、キング・ファイサル国際賞、唐奨など受章・受賞多数。
私が医学部5年生の時、私の恩師となる山村雄一先生が九州大学の生化学教授から、母校大阪大学の内科教授に帰ってこられた。山村先生の内科の講義は明快であった。これまでの他の先生の教科書を読んで事実を記憶させるような講義とは全く違った。
私は後年、“何故かと問いかける内科学”という本を書いたが、山村先生の講義は全くその通りである。私は基礎医学の研究者になりたいと思っていたが、その講義にひかれて山村先生の内科学教室に入局した。
1970年、私はIgEを発見したJohns Hopkins大学の石坂公成先生のもとに留学した。私のlife work IL-6の研究はそこからスタートする。
1968年に免疫学においてTリンパ球とBリンパ球が発見された。Bリンパ球はTリンパ球の存在下でのみ抗体を作る。私はTリンパ球はBリンパ球を刺激する何らかの分子を出しているであろうという仮説を立てた。そして1973年にTリンパ球がBリンパ球に抗体を作らせる分子を産生していることを報告した。
1975年に大阪大学に帰ったが、当時の状況では、この分子やその受容体、シグナルを分子生物学的に研究するような設備は全くなかった。
その当時、山村先生は大阪大学の総長をつとめておられ、これからの医学は細胞や遺伝子の研究が中心となるとの考えから、その研究の中心となる細胞工学センターを阪大に作られた。岡田善雄先生や遺伝子研究の松原謙一先生を中心として、その他に、当時世界ではじめてインターフェロンの遺伝子をクローニングした癌研究所の谷口維紹氏を、私はどうしても招きたいと思った。岡田先生が当時の菅野晴夫所長に依頼に行かれたが、けんもほろろに断られたと言って帰ってこられた。私が山村先生になんとかならないかとお願いすると、どうしても谷口君が必要かと言われ、必要ですとお答えすると、数か月後、谷口先生は大阪大学教授としてやってくることになった。どういうふうにしてそうなったのか分からない。しかし昨年谷口先生は、文化勲章をもらわれ、細胞工学センター当時の4人の教授は全員文化勲章を受章した。1つの研究所の全員が文化勲章を受章したという例はいまだかつてないと思う。それほど、このセンターはすばらしい成果を上げたと思う。
私の研究、IL-6をコードする遺伝子の単離にはじまり、その受容体、これは2つの分子、IL-6結合分子とgp130からなる複雑な構造をしていたがそれを明らかにすると共に、受容体から核へと伝えるシグナルの詳細も解明した。受容体からSTAT3とNFKBという分子を介して、DNAが活性化されシグナルが細胞内へと伝わるという仕組みは最初の発見である。
基礎的研究が積み重なるにつれ、我々は本来医者であるから、病気に関心をもつ。IL-6の体内における異常産生が種々の病気につながることが分かってきた。
誰もが医者にかかったとき、最初にはかる血液検査の一つはCRPである。これが高いと感染や癌の発症をうたがう。CRPはIL-6をはかっているのである。
IL-6の受容体にふたをして、IL-6が作用しないようにすれば、病気の治療につながるのではないかと考え、我々はIL-6受容体に対する抗体を作った。当時私は、山村先生の後の内科の教授になっていたが、実験的な治療で、この抗体(アクテムラ)は、いくつかの病気の治療に画期的な効果を発揮することが分かってきた。
当時は、抗体医薬は日本に存在しなかった。そこで私は、中外製薬の当時の永山治社長に相談した。彼は即座に数百億円をかけて、培養装置をつくることを決断した。会社では、岸本の口車に乗って、会社はつぶれるという意見もあったという。
これに目をつけたロッシュは、中外製薬の約半分の株を買い取り、この研究を大々的に推進した。その結果、現在では、アクテムラは数百万人の関節リウマチをはじめとする、種々の自己免疫疾患の患者の治療に用いられ、世界で年間数千億円の売り上げを出している。
学問的興味はそれに終わらない。アクテムラは血管内皮に作用してIL-6の作用をおさえ、患者のショック(学問的にサイトカインストーム)をおさえる。
コロナのパンデミック時代には、サイトカインストームをおこす重症の肺炎患者にアクテムラを使えと、英国のジョンソン前首相もTVで推奨し、FDAもアクテムラを新たにコロナ治療薬に承認した。アクテムラを使用することにより、重症コロナ患者の死亡率は減少した。
もうひとつ大きな出来事は、現在、癌治療の世界で主流の1つになっている、CAR-T細胞療法、これは、活性化されたTリンパ球により、IL-6が大量に出てショックをおこすが、アクテムラの併用により解決する。「アクテムラがなかったらCAR-T細胞療法は存在しなかった」といわれている。
これまでの半世紀に亘る私の研究を述べてきた。85歳になってもまだLaboで研究生活を続けているが、IL-6とのめぐりあいは私の人生を幸せにしてくれたと思っている。
さて私は、もう35年も前に、Proceedings of the Japan Academy, Ser. Bに4つの論文を掲載しているが、これらの中の3つはIL-6に関するものであり、IL-6の研究が大きく花開きはじめる端緒となった頃のものである。
私の論文の中に出てくるIL-6受容体の発見、これはサイトカイン受容体としては最初であったと思われるが、受容体をCOS7細胞に発現させFACS装置を用いて分離するという方法で、IL-6受容体(IL-6R)が発現した細胞を単離した。筆頭著者の山崎勝彦君らの苦労は大変なものがあったと思われる。
さて、IL-6とIL-6Rが単離されると論文にも書かれているように、以前からBSF-2として推測されているこの分子が、リウマチをはじめとする種々の自己免疫疾患に関わることが明らかになった。Bリンパ球が腫瘍化した骨髄腫もIL-6を産生し、それによって自分も増殖することも明らかとなった。
このような内容の初期の論文が、Proceedings of the Japan Academy, Ser. Bに掲載されている。
会員寄稿
一点の疑義も許されない自然科学的証明?
伊藤 眞 会員
民事訴訟法専攻

昭和20年長野県生まれ。東京大学法学部卒業、東京大学法学部助手、名古屋大学法学部助教授、一橋大学法学部教授、東京大学法学部(大学院法学政治学研究科)教授等を歴任し、現在東京大学名誉教授。令和4年瑞宝重光章受章。令和2年12月より日本学士院会員。
1.はじめに
「一点の疑義も許されない自然科学的証明」とは、よく知られた最高裁判所第2小法廷判決(昭和50年10月24日 最高裁判所民事判例集29巻9号1417頁)の一節である。
これは、以下の文脈で用いられている。裁判は、法規を大前提として、事実を小前提として、結論を導く構造であり、小前提となる事実の存在を裁判所が認定しなければならない。民事訴訟では、当事者間に争いのある事実の認定は、当事者が提出する証拠にもとづいて裁判所(それを構成する裁判官)が行うが、どの程度の確からしさを抱いたときに存在の認定をすることができるかというのが、「証明度」の概念であり、上記の一節は、それにかかわるものである。
2.因果関係の証明
因果関係とは、Aという事象がBという結果を引き起こしたという事実、いいかえればBという結果の原因はAという事象(行為)であることを意味する。債務不履行や不法行為にもとづく損害賠償請求について法文は、「これによって生じた損害」(民法415条1項本文・709条。下線は筆者による)の賠償責任を定めるが、このうち、「これ」が事象(行為)、「損害」が結果、「よって」が因果関係にあたる。
医事関係訴訟を例にとれば、医師による鉗子分娩が事象(行為)、児の脳障害が損害、鉗子分娩に「よって」脳障害が引き起こされたことが因果関係にあたる。したがって、原告(損害賠償を求める者)は、鉗子分娩や脳障害は争いがない事実であるとしても、因果関係、すなわち鉗子分娩が児の脳障害を引き起こしたのであり、他の原因、たとえば分娩経過が悪く長時間の低酸素状態によるものではないことを証明しなければならない。この証明は、「証明度」に達する程度でなければならないが、その証明度について上記の最高裁判例は、「訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挾まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである。」と判示している(下線は筆者による)。
3.自然科学的証明と高度の蓋然性の証明
この判例によれば、いわば最高度の証明として自然科学的証明があり、それに続くものとして高度の蓋然性の証明がある。半世紀近くをさかのぼるだろうか、フト思いつき、知人の自然科学者に「自然科学的証明って一点の疑義も許されないの?」との質問をしたところ、「ソンナことはありえない。単なる幻想だよ!」と一笑に付されてしまった。もし、そうであるとすれば、一点の疑義も許されない自然科学的証明を前提とし、それに次ぐものとして設定された高度の蓋然性の証明も、訴訟における事実の証明度として高すぎるのではないかというのが、判例や通念に対する疑問の原点であった(伊藤眞「証明度をめぐる諸問題」判例タイムズ1098号4頁(2002年))。
刑事訴訟においては、検察官が、罪となるべき事実について、合理的な疑いを超える程度の証明をしなければならないとされているが、それは、逮捕、勾留、捜索、押収などの強制捜査権を背景としたものであり、それと比較すれば、民事訴訟の当事者に認められている証明、すなわち証拠収集手段は、はるかに限定されたものに過ぎない。にもかかわらず、高度の蓋然性に達する証明を要求することは、結果としては、権利救済の途を不当に狭めることになるおそれがある。因果関係の証明に関する上記の例を考えれば、医師の過失を理由として損害賠償を求める原告の立証負担が容易でないことが理解されよう。
4.立証主題の転換—生存の相当程度の可能性
判例法理に対しては、証明度を高く設定するあまり、認定すべき事実を認定しないという意味での消極的誤判を招きかねないとの批判があるが(須藤典明「民事裁判における原則的証明度としての相当程度の蓋然性」民事手続の現代的使命【伊藤眞先生古稀祝賀論文集】345頁(2015年)、塩野隆史「因果関係の認定に困難を伴う医療訴訟の審理・判断のあり方」財産法学の現在と未来【潮見佳男先生追悼論文集】881頁(2024年))、現在に至るまで変更はない。
しかし、立証されるべき結果そのもの(2.の冒頭でいうB)を「死亡や後遺症が生じなかった相当程度の可能性」に置き換えることによって、原告の立証負担を軽減し、実質的には、因果関係に関する証明度を引き下げるのが近時の判例や実務運用となっている(大島眞一「医療訴訟の現状と将来—最高裁判例の到達点—」判例タイムズ1401号60頁(2014年))。証明度に関する建前を維持しながら、それによって生じる不合理を避けようとするものであるが、問題が解決されるかどうか、今後を見守りたい。