ニュースレター No.33 会員寄稿
目次
会員寄稿
労働法制の大きな変化
菅野 和夫 会員
労働法専攻

昭和18年福島県生まれ。 東京大学法学部卒業、同大学法学部(大学院法学・政治学研究科)教授、研究科長・法学部長、明治大学法科大学院教授、中央労働基準審議会会長、労働政策審議会会長、中央労働委員会会長、労働政策研究・研修機構理事長、国際労働法社会保障学会会長を歴任。平成20年12月より日本学士院会員、令和5年6月より第1部部長。
私は、「労働法」という法分野の研究・教育に50数年間従事してきた。この法分野は、労働組合法制、労働契約・労働基準法制、雇用政策法制などにわたっているが、日本の産業社会はこの50数年間大きな変化を遂げ、それを対象とする法制度の内容も大きく変化してきた。産業社会の構造変化と共に、労働関係にも新たな問題や課題が次々と生起し、それらに対処する政策が様々に立法化されていった。また、行政機関や裁判所に持ち込まれる問題事例も内容と様相を新たにしていき、そこから法の新たな解釈が次々と判例化された。加えて数多くの新立法も、行政機関や裁判所の新たな法解釈を生み出していった。
立法体制そのものとしては、わが国の労働法制は、明治末期における「工場法」の制定に始まり、1945年の敗戦を契機とする日本の政治経済体制の大改革のなかで、新憲法の労働条項のもと、労働組合法制、労働基準法制、職業安定法制という三つの分野にわたって体系化された。次いで、戦後の混乱期に、労働運動の秩序化と失業救済体制の整備のために重要な修正を施された。そして、1950年代半ばからの高度経済成長の過程、1973年の第一次石油危機を克服しての安定成長の過程、1990年代初頭のバブル崩壊とデフレ経済化の過程などにおいて、めまぐるしい改革を施されていった。
以上のような労働法制発展の背景となった経済社会の構造変化をいくつか挙げると、上記の経済成長過程では、まずは、農家・商店などの自営業者・家事従業者が全就業者の6割を超え、雇用労働者が4割弱に過ぎなかったという社会から、雇用労働者が増加して8割に達する「雇用社会」へと移行したことが挙げられる。そして、雇用関係の実際的仕組みとしては、製造業・金融業・建設業など雇用安定的な産業セクターを中心に、大・中堅企業において新卒一斉採用を起点とする長期雇用システムが確立し、失業率2%台の雇用安定社会が達成された。また、労働組合運動としては、長期雇用システムを基礎とした企業別労働組合が支配的となり、それらを単位組織として産業別および全国的な上部団体(連合体)が組織される構造となった。また、これら上部団体の産業別および産業間の連携と指導の下で、全産業的賃上げ運動としての「春闘」が1950年代半ばに開始され、経済成長過程および経済調整過程を通じた雇用安定と継続的賃上げの仕組みに発展した。
しかしながら、1990年代以降の経済低迷のなか、失業率が5%台半ばにまで高まって、戦後期以来久しぶりに若年失業問題が深刻化した。また、有期・パート・派遣などの非正規労働者の割合が雇用労働者の4割にまで増加し、「格差社会」、「ワーキングプア」などが流行語となった。他方で労働組合の組織率は経済成長過程での35%程度から17%程度に低下し、10%を超えていた春闘賃上げ率も2%強のレベルに低迷することとなった。かかる厳しい労働情勢下、2010年からの民主党中心政権やその前後の自民党中心政権を通じて、非正規労働者の保護や過重労働の規制などにつき、以前には考えられなかった労働者保護政策が次々と立法化される時代となった。
加えて、最近は、デジタル・トランスフォーメーションのなか、プラットフォームから仕事を供給されるフリーランス・ワーカーが相当程度の数となって法的対応がなされ始めている。
以上のように、私が研究に従事してきた50数年間には、研究対象の労働法制は労働問題の変化に応じて慌ただしく変化してきたが、これを法の形や量、そして機能という観点から見ても大きな変化を遂げている。
まずは、立法の量的増加である。労働法制の分野では、国の諸立法を体系的に収録した法令集が手軽なサイズで出版され、労働法を専門とする官民の専門家に愛用されてきたが、これら法令集が、バブル崩壊後の立法の増加のために、どんどん分厚く大型化して、携帯困難なものとなった。また、法の形態としても、法律や政令・施行規則などの正式の法規のみならず、努力義務・指針・ガイドラインなどの「ソフトロー」が、企業の人事・労務管理の細部にわたって行動指針を定める傾向を強めている。
さらに、バブル崩壊後の日本社会においては、法の遵守の要請が「コンプライアンス」という言葉で強調されるようになった。これは、企業の経済活動全般に及ぶ変化であるが、労務管理においても、例えば労使間の「三六協定」によって設定される時間外労働の上限は、かつては労働現場で軽視されていたが、近年は労働基準監督署がその遵守を厳しく取締まる強い法規範となった。そして、違法な時間外労働の結果としての「過労死」「過労自殺」は、企業の不祥事として経営者の責任問題となるに至った。法の機能の大きな変化といえる。
日本学士院では、専門が比較的近い会員の方々のみならず、大きく異なる方々からも、興味深いお話をお聴きし、様々な勉強をさせていただいている。自己の専門分野に沈潜しがちな身としては、幅広い専門分野の碩学のお話を拝聴できるのは、有り難い限りである。
会員寄稿
日本学士院紀要数学の電子化
森 重文 会員
数学専攻

昭和26年愛知県生まれ。 京都大学理学部卒業、京都大学理学部 助手、名古屋大学理学部教授、京都大学数理解析研究所教授・同所長、国際数学連合総裁を歴任し、現在京都大学高等研究院院長・特別教授。日本学士院賞、フィールズ賞、文化勲章他を受賞・受章。平成10年12月より日本学士院会員、令和5年2月より第2部部長。
インターネットの発展により、紙媒体を流通の基本とした学術誌はオンライン出版の時代へと向かっている。その過渡期に、書架から手に取り紙媒体を閲覧できる学術誌にはそれなりの存在意義がある。実際、幾つかの有力誌は紙媒体も維持している。同様に、日本学士院紀要の数学(シリーズA)とその他自然科学全分野(シリーズB)も紙媒体の出版と同時に電子版を無料でオンライン公開している。自国でこのような学術発表の手段を維持することは、極めて重要である。
これまで多くの大学の数学教室は数学学術誌を発行しており、それは外国の多くの非営利学術誌を入手する交換手段でもあった。しかし、シリーズAとBは日本学士院の事業であり、寄贈がほとんどで交換はごく少数だし論文掲載料(APC)も無料だ。したがって他の多くの学術誌に比べ比較的素直なビジネスモデルであり、変化への対応はいくらか容易であった。
私が関わっているシリーズAの電子化について説明したい。
シリーズAは一貫して、印刷版が6頁以下という制限を付け、原著論文や「速報」を掲載しているが、概説論文は掲載していない。速報というのはシリーズBではあまりないようだ。原著論文の出版に時間がかかる場合、まず証明の概略などを載せた速報を査読後に出版するのである。数学ではネット社会においても速報は重要であり、最近では論文掲載料無料というのも著者にとって魅力だろう。ただそれでも出版環境の激変への対応が必要である。
私が日本学士院会員に選定されたのは1998年だが、その頃から一連の電子化に立ち会ってきた。電子化にはいくつかの側面がある。編集、印刷、出版、過去に出版された論文つまりバックナンバーの扱い、並行して著作権の扱いなどである。これら5つの側面について以下で述べる。
編集では、アメリカ数学会による数学題目分類(MSC)を導入した。これは、数字2桁、アルファベット1桁、数字2桁の5桁からなる。例えば代数幾何学は14で始まり、その中の双有理幾何学は14E、さらにその中の極小モデル理論は14E30という具合だ。2000年から"MSC Primary 14E30"のように、MSCを添付した論文を扱うようになった。これにより、編集に協力して頂いている外部の数学者の中で誰に相談すれば良いか、MSCで直ちに分かる。数学全分野を少人数でカバーするには心強いシステムである。なお、著者や編集委員とのメール連絡等はシリーズA担当の職員にお願いしている。編集オンライン化の適否を検討した結果だ。
印刷について言えば、以前から流布していた組版言語TeXを1999年に導入した。TeXで論文を作成した著者から元のTeXファイルを貰えば組版し直す手間が減る。特にシステムが完備した2005年以降は、TeXファイルが既に出版レベルのこともある。
出版については、シリーズAは2004年にプロジェクト・ユークリッドと契約した。同組織はコーネル大学図書館が設立し現在ではデューク大学出版局が運営する。そのインターネットサイトでは、多数の数理科学の学術誌がそれぞれのページ(部屋)で電子版を公開しており、学術誌のネット版書店といえる。シリーズAの部屋で、電子版のオンライン公開が出来るようになった。
ただ、シリーズAの部屋ができても、バックナンバーを読むことができなければ魅力が半減してしまう。バックナンバーの電子版というのは、多くの場合 pdfファイルで、光学文字読取(OCR)により文字データも附属している。そこでシリーズAでは、2004年に作業を開始し、2007年には1912年まで遡る全てのバックナンバーの電子版が完備した。実は、プロジェクト・ユークリッドを日本の多くの数学学術誌に紹介したり、バックナンバーOCR化の援助をしてくれたのは、国立情報学研究所の国際学術情報流通基盤整備事業SPARC/JAPANであった。謝意を表したい。
電子版は紙版とは別の著作物であるという認識や、バックナンバーのpdf版の出現に伴い、著作権の扱いが問題になった。そこで先行していたシリーズBを参考にさせていただき、2004年に著者から著作権を日本学士院へ委譲してもらうようになった。また、バックナンバーの著作権委譲処理は2006年に終えた。今後は、著者が著作権を保持しシリーズAは出版権だけを委譲されての出版、さらには再利用のルールを明確化するためのCCライセンスによる出版も考えられる。シリーズ A としても対応を検討中である。
創刊以来の長い歴史を背負って、これからも時代に対応しながらシリーズAB共に発展させていきたい。