日本学士院

ニュースレター No.30 文×理対談 青柳正規会員×田中耕一会員

2002年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一会員(質量分析)と、イタリア・ポンペイの発掘で著名な青柳正規会員(美術史)の2人に語り合っていただきました。マンガが大きな発見に結びついたという仮説から文系と理系の融合・協力にまで話は広がります。

ノーベル賞の発明にはマンガ文化の影響

田中:私は東北大学の電気工学科で、学士院会員でもあった八木秀次先生が開発された八木アンテナに関する研究をしました。高層ビルの壁に当たって跳ね返ってくる余計な電波を、家のテレビのアンテナが受けることにより画像が二重・三重になるという問題の解決のために、ビルの壁に小さな金属のアンテナをたくさん並べました。跳ね返ってきた電波の山と谷、谷と山を足し合わせると波が消えるという研究です。これを簡単に図で表して考えていました。島津製作所に入った2年後の1985年、化学の実験をしていた時に、金属超微粉末を液体のグリセリンに間違えて混ぜてしまったのですが、それを使ったことが「ソフトレーザー脱離法」の開発につながりました。その時に、必要な部分だけ簡略化して表すという大学時代の経験が頭の中に残っていたと思うんです。たった2年の間ですから(図参照)。2002年のノーベル賞の受賞騒ぎの直後に、マスコミから間違って混ぜたものをなぜ使ったのかと聞かれ、苦し紛れにもったいないと思ったからと言ったところ、それだけが独り歩きしました。うまくいくんじゃないかと思った理由を自分なりに探しました。全く別の分野の発想を発明に生かせたのは、全部を精緻に表すのではなく、重要なところだけを抽出し、強調して表すことができたからという理由に辿り着きました。いわゆる模式図や図面は科学技術にはなくてはならないものです。その模式図や図面を一般の方に分かりやすく言えばマンガになります。日本にはマンガの長い歴史があります。鳥獣戯画が800年ぐらい前で、浮世絵があって、今は色々なマンガがあります。私の発明には、マンガを描くことを恥ずかしいと思わなくていい日本の文化の影響があったんじゃないかという、勝手な解釈、仮説です。

電気工学科での研究(1983年)と化学発明(1985年)の関係

青柳:模式図的なものが重要だということはよくわかります。例えば、ヤマザキマリさんが最近書かれたマンガ(『リ・アルティジャーニ―ルネサンス画家職人』、新潮社)に中世のフィレンツェの街が出てきます。その頃は車の公害が全くない。しかも今のように立て込んでもいない。そういう中で芸術家がたくさん活躍していて、実に濃密な文化空間ができている。それを例えば小説や文章で書くとごく一部しか表現できないと思うんですね。ところがこのマンガを見ると、例えば1450年頃で、こういう建物があって、夏でも清涼な空気があり、しかもそこに文化的なものが充実している、ということが事細かにわかるんです。もう一つは、その場面場面で決定された情景がフィックスされている。例えば温度が20℃で気圧は1000ヘクトパスカルで、湿度がいくらというようなことがマンガだと固定されて見える。そういう具体性と実証性のことを仰っているのかなと理解したんですけども。

田中:私もポンペイの遺跡の壁画を拝見した時に、これはすごく写実的だなと思って、日本ではこういう描き方を普通はしないなと。手塚治虫さんとか、昔のマンガは顔の縁取りをして、場合によっては鼻さえも書かず、目と口だけ。それでもわかるんです。例えば模式図でも図面でも、実体ではなく、必要なところだけ表す。となると、私が実験で失敗してもうまくいくかなと思ったものと、マンガ・模式図との共通点が見つかるわけです。私は、写真を撮ることや絵を書くことが好きでした。理系の人は文系のものを好きなはずがないと思われているところもあって、何かつながりはないかなと考え、マンガに辿り着きました。マンガが好きなのは恥ずかしいと思っていると、せっかくの発想のチャンスを逃すのではないかと思って、若い人に参考になるようにお話ししているんです。

若いときには色々な経験が必要

田中:私の専門の質量分析は、大昔は気体のみでしたが、 今は液体や固体までも扱えるようになりました。例えば血液一滴から病気を診断するというように、医学や薬学など、様々な分野に使われています。プラスチックや金属も、どういうものが含まれ、どういう構造をしているかを見ることができます。 文系に関するものでは、例えば年代分析です。同位体がどれくらいあるかによって、何万年前のものかわかる。あるいは美術品の真贋。最新の顔料で作られているから、これは偽物だと。最近では、はやぶさ2が持ち帰ったリュウグウの石を分析するために様々な質量分析が使われていることが、日本学士院の欧文紀要PJABに2022年6月に発表された論文に書かれています。逆に、質量分析から生まれた学術もあります。こういう質量分析の場にたまたま私が居合わせることができた。イノベーションという言葉は、全く無から新しいものを作るよりは、何かと何かをつなげて別の分野に活用することで、できるということなのだそうです。何だ、自分のやったこともイノベーションと言えるんじゃないかと、頭を切り替えると、特に若い人たちは色々なことを経験することが大事だと思います。ある専門だけをやることも大切ですが。

青柳:私もそれに似たような経験があります。1つは、ローマ大学に留学しているときに、ルーブル美術館で調べて、ゼミで発表しようと思って行ったら、1週間閉館になっていたんです。目的のローマ時代の石棺を見ることができないのでドーバー海峡を越えて大英博物館まで行って石棺を写真に撮りました。それを中心に、ゼミで発表したらですね、先生がルーブルのものは誰でもが思いつくから面白くないけれども、よくぞ大英博物館のものを見つけてきたっていうんです。苦肉の策だったんですけれども。それ以来、先生に気にかけていただくことができ、うまくイタリアの考古学界の中に入り込むことができました。私の場合は発明でも発見でもなくて、きっかけでしかなかったんですが、結果として前例のないことを提示できました。もう1つは、イタリアの場合には考古学が貴族の学問と言われるように、考古学者自身が手を汚して、図面を書いたり、掘ったりすることはあまりないんですね。皆、図面を書くのは専門家、測量する人は測量家、掘る人は作業員にという。それをまとめるのが考古学者。ところが、僕たちはそうじゃなくて、日本で何でもやることを習って、たまたま高校の三角関数位まで知っていますから、三角測量などができる。僕が自分でやったら、向こうの考古学者は驚いて、どうしてお前、数学ができるんだ、といって持ち上げてくれたんですね。そういうことがあって、特に火山噴火で埋没した遺跡を中心に研究してきたので、東京大学地震研究所の先生方、理学部の環境関係の方、あるいは、GPSをやっている人などと組むことができました。そういう人たちと付き合うときに高校までに習った理科の知識が非常に役立つんですね。

田中:私も全く同意見で、私の化学の知識は、高校までなんです。だから、会社で化学の実験をやれと言われたとき、どうせ期待されていないから、失敗しても許される、と思ったのが良かった。高校で習う化学などは基礎の基礎ですから、的は外れていないけれども、もしかしたらうまくいくかもというところで、高校で学んだ化学の知識は生きると思います。私がイギリスに住んでいたときに驚いたのは、例えば、物理の専門家が物理しか知らなかったんです。化学の知識が小学生レベルだったりするんですね。それでも博士号を持てるんです。私は大学受験の際、文系も理系もなく、理系だったら数学、物理、化学、生物、そういった基礎をまず学びました。なんでこんなものを学んでいるんだろうって思うくらいだったんですが、そういった基礎を持っていれば、もしかしたら日本にとって、アドバンテージになるかもしれない。他の分野に移っても、ある程度生かせる。これから世界で競争するときに、このベースのところを生かせるんじゃないかなと。私は今 、医学の方をやっているんですが、やはり生物、例えば遺伝子とかを習っていると、割とすんなりといけるんです。異分野融合と言いますが、若い人たちに、君たちにその基礎はもう出来ていると言えると思います。

文理融合・協力が重要

青柳:私は今もイタリアで発掘を続けていますが、科学研究費をもらっていた時の表題は「火山噴火罹災地の文化・自然環境復元」だったんです。

田中:ものすごく分野がまたがっていますね。

青柳:本当に色々な分野の方々に入っていただいて、しかも最初から研究チームを編成しました。理学系の人、工学系の人、それから生物系の人。文系では僕のような考古学者、歴史や碑文をやる人とか。普通はまず考古学者たちが掘り出して、何か出てきたときに、分析をしなければならないといえば分析化学の人を呼んでくる。ここで地震がいつ頃起こったか調べたいからといえば…と、泥縄式なんですね。それを我々は調査を開始する以前からチームを作って研究を始めたんです。そのために、最初から理系の方も文系の方も情報を共有することができて、有機的な研究成果にまで持っていくことができました。それがイタリアで評価されたと思うんです。ですから、最初の段階で、偶然でも構想でも構わないけれども、幅広く組立てておくことが将来何か成果を生み出す一つの秘訣かもしれないなとその時思ったんです。

田中:例えば私はカメラが趣味で、自分の専門とは違う光学の話に興味がありました。今私が関係しているレーザーは光ですから、光をどうやって集めるかということが、実際の仕事につながりました。人生割と長いですから、大学院を出たとしても、あと40年ぐらい、もしかしたら50年ぐらいは働く。興味はないけれども大学に入るためにとにかくやっていたことが、めぐりめぐって生きることがいくつもあるということは、私自身この歳になって、有り難かったなと思います。

青柳:僕も写真大好きですね。特に、考古学や美術史をやっていると、写真が大きな武器になるんです。人が撮ったんじゃ満足行かないので、自分で撮りました。その頃、写真を非常に大切にして研究を進めた人は、皆かなり実証的で、業績を挙げていますね。ところが、その頃最先端の情報機器を使わない、文系の美術史とか考古学の分野の人はどうも文献主義で学説論争だけに陥って、学界に貢献するような本当の業績は挙げてないような気がします。我々人文系も色々な学問分野がありますけども、ある一定の学問分野は、ある程度理系化しないといけない。ただ、実証主義だけに走ると、今度はどんどん研究が狭くなって、誰からも文句を言われない実証性だけを一生懸命やっていくために、カチカチの狭い研究になってしまうんですね。最近の人文学のつまらなさはそのせいじゃないかと思って、もうちょっと大まかにやろうよと一生懸命言っているんですけれども。

田中:私が中学・高校と文系の学科が嫌いだったのは、歴史。暗記すべきことが多すぎる。歴史は人が作るものですが、人の動きとか気持ち、野望などは全く勉強の対象にならなかった。国語も漢字を覚えることが嫌いでしたが、化学とか医学の化合物は簡単に覚えることができました。なお、文系の中では地理は好きでした。地図は何かを省略して記号化しています。美術に関しては、水彩画のような簡略化したものの方が好き。そう考えると、理系・文系に分けるのではない、好きなもので共通する部分がみえてきます。 理系の方でも、例えば故・小柴昌俊先生はクラシックが大好きと仰っていますし、大村 智先生は美術品が大好きで美術館を開かれているぐらいですから、文系のアイディア・発想が理系の方にも知らず知らずのうちに使われているんじゃないかと思いました。学術の分野で分けるよりも、自分の感覚として好きなものは何かというものでまとめると、もしかしたら理系の人が文系、文系の人が理系の何かが得意になれるかも、と思えてきました。

青柳:僕も大村先生とは以前から親しくさせていただいているんです。先生のお宅をお訪ねしたり、美術館も見せていただいたり。大村先生もフィールドサイエンスに近いことをやってらっしゃって、我々が見ても非常に具体的です。それが絵でも、具体的な世界像が一つの画面にそれぞれ表されていると思うんですね。そういうところで大村先生は自分の頭に描いている世界像に合っているような、優しくて穏やかな感じの絵がお好きでいらっしゃるんですね。ある絵画に見られるような世界観というものがちゃんとある。それがこう、絵として反映しているものを集めていらっしゃることがわかって、それが面白いです。

田中:実際に拝見する機会がないのですが、大村先生が絵がお好きということが初めて納得できた気がします。

青柳:僕が高校の時に世界的にも有名な蛾の分類をしている先生が山岳部の部長をやってくださって、一緒に山に行きました。その先生が、とんでもないところに行ったりして蛾を取るんですね。その頃フィールドサイエンスというものが、大切なんだなっていうことが分かりました。フィールドサイエンスという横軸で切っていくと、理系も文系もないんですね。今、段々フィールドサイエンスが衰退化しつつあるので、もう一度盛り上げていかなくてはいけない。そうすれば、理系・文系でもっと協力・融合ができる気がするんです。

田中:実際に楽しみながらやれるというのは、すごく良いですね。私も山登りが好きです。高山植物とか雷鳥なんかもしばしば見ましたので、それでもっと興味を深めていれば、高山植物のフィールド研究の方に進んでいたかもしれません。

青柳:皆さんそれぞれの専門をお持ちだけど、友達を持つとか、興味を持つとか、何か違うことに少し近づけば、色々な可能性が開いていくのではないでしょうか。

青柳正規会員

同じものでも人によって見方が変わる

田中:先ほど触れたように、私は地理が好きで、地図を見ているだけで旅をしたような気になります。鉄道ファンで、乗り鉄なので、今回の対談の際も久しぶりに「のぞみ」に乗れたなとずっと外を見ていました。そういうことは、私にとっては、定年後の何か趣味と実益を兼ねてやることのヒントになると思いますし、自分の隠れた能力や興味を生かさずに自分の選択肢を狭めている若い人にとってのヒントになるかもしれません。

青柳:そうですね。平安時代の国語学が専門の故・築島裕会員は世界中の鉄道の切符を集めるのが趣味でした。海外では、改札で切符を回収しないので、珍しそうな切符の時はポケットに入れて持って帰りました。そして先生に差し上げると、青柳君、これは中々珍しくて、どこどこの支線でここに行って、終点までの切符なんだよということが全部わかるんですね。それを自分が旅行されたかのように、1枚の切符で話してくださるんです。自分がその時にみた光景、汽車の中からみた光景とは違う世界として蘇り、とても面白かったですね。

田中:そのお話は私の最初の話にも通じるかもしれません。同じものを見ても、人によって見方が違う。それによって、お互いが別の発想ができて、お互いにとって何か新しいものにつながるかもしれません。一つの現象を見ていても、違うように見えますので。

青柳:最近はあまり高い山は登らないんですけど、低山を徘徊するだけでも、以前よりも植物の名前を知っているものですから、世界が違ってきますね。

田中:高山植物は小さいものが多いので、下手すると踏みつけてしまっていることもあるんです。小さい花でも、カメラで大写しにすると、ものすごく繊細な花びらもあります。ミクロまで行かないにしても、そういう見方をすると、やはり違って見えてきます。

青柳:10年ぐらい前、富山から昔の立山温泉の辺りまで連れて行ってもらったんですね。そうしたら、ヒオウギが咲き終わって真っ黒な種になっていて、その種を取ってきたんです。高山植物が好きな文学者に見せたら、これはヌバタマだと。ヌバタマというのは真っ黒を指す平安時代の枕詞だそうです。だけど、その種子のことをヌバタマという。ちゃんと具体的なものがあると、広がっていくということを経験しました。やっぱり、フィールドでわからなくても探して持ってくる、あるいは、チェックしていくことが大切なんだなという気がしました。

田中:色々な花の名前を知っていると、これはあの花だというふうに、ただ散歩するだけでも道端にあるものが豊かといいますか、美しく見えてくる。定年以降に色々やれたらいいなと思うんですが、会社からはお前に定年はないと言われています(笑)。

田中耕一会員

マンガは日本文化理解の道具

青柳:今も研究室で自分の研究をなさっているのですか?

田中:実はこの対談の前も、自分のやった実験、装置から取得したデータをどう解釈するかを検討していたんです。わかりきったものでも、測り方によって違う側面が見えてきたりするので、どう解釈・分析していくか。人間の体の中は分からないことだらけです。質量分析で見え方は色々違うので、もしかしたら自分でも何かわかるんじゃないかと。実は所長という重役を任されているんですが、所長の仕事は副所長にほぼ任せて(笑)。うまく言えば背中を見せるという形で自分自身は研究の楽しさを、まだ味わわせてもらっています。先ほどのマンガにつながりますが、見えたものをどう他の人に伝えるか。マンガは、難しい専門的なことを、正確に表すには適していないけれども、それを簡略化して別の分野の人に伝えることにはすごく長けています。それをどううまく表すかということも、別に理系文系に限らず、一つの能力だと。専門を深掘りするだけでなく、横につなげる時は、企業ではコミュニケーション能力が求められます。自分とは考え方の違う人、専門の違う人に、うまく伝えることができる能力として、一番わかりやすいものはマンガを描くことかなと。イギリスで暮らしていた時に、ちょこちょこっと描いた図が、お前、図うまいなと言われました。こんなの日本では当たり前だよと思える。それが日本人が知らず知らずのうちに、世界に伝えられる能力、違う分野に伝える能力を備えているんじゃないかなと思えた一瞬だったと思います。

青柳:ですね。僕が若いころ、ポンペイで発掘している時に、夕方になると食事の前に軽くお酒を飲みながら雑談する。当時、50年ぐらい前ですけど、『アストリックス』というフランスのマンガがありました。フランスに住んでいるケルト人が原住民として強いローマ軍隊をやっつけるという話なんです。それが毎月1冊ずつ出ると、皆でここはおかしいとか、ここは時代に合っていないとか、ガンガンけなしながら、だけど楽しんで読む。その時に多くの色々な情報を交換することができたので、僕としてはその頃イタリアっていうかヨーロッパの考古学の共和国みたいなものの中に、そのマンガを仲介して入れたような気がしますね。

田中:マンガという一つの文化を通して交流できたというのは、すごい貴重な経験です。イギリスにはそんなにマンガはないので、私にはそういう経験があまりありません。イタリアとかフランスだったら話がもっと膨らんでいたかもしれません。

青柳:例えば北斎なんかも、イギリスの人たちはたいへん評価していて、北斎展を大英博物館でやるくらいです。北斎が描いたマンガ尽くしみたいなものとか、あるいはデザイン化した神奈川沖浪裏の大波なんかはマンガ的な要素があるなあと思っているんですが。

田中:あの波は誇張していますね。誇張したことによって、そのすごさを表している。本当の意味で写実的ではないけれども、ある意味真理をついています。大波が砕けるところなどは、今のテレビの技術でもそう簡単には表せないのに、なぜあれをあの時代に表せたのか。数十年前の人だったら、そんな波見れないよと言っていたと思います。

青柳:あの絵は日本の絵としては世界で一番有名なようですね。彼らも表現できないぐらい大胆な表現があるっていうことで。

田中:通り雨を表した浮世絵も、ああいう線には絶対なっていないんです。ところがそういうふうに表すことによって、より真実に近くなる。すごい雨が降っていて、駆け出している雨傘の人とかいうのは、ヨーロッパではああいう描き方はしない。できないのかもしれない。

青柳:特に印象派の頃、ヨーロッパ美術が段々先詰まりになりつつあったと思うんですね。その時に浮世絵がヨーロッパに紹介され、人間がきれいに描かれているけれども、影や明暗が描かれていないことに気付きます。彼らは、ガツンと頭を殴られるような気持ちだったと思うんですね。ピカソなんかがアフリカの彫刻にも芸術性を認めたりするきっかけになった。多様な地球上の文化を平等に見るような視点を与える、それに気づいてもらうきっかけにはなっていると思いますね。マンガ家で谷口ジローという人がいますが、日本でよりもむしろフランスで有名なんですね。彼に、セリフのない一人の男が、自然の中を歩いてみたりする『歩くひと』というマンガがあるんです。それが絶大な人気があって、彼のおかげもあってマンガの分野が「ルーブルNo. 9」のジャンルとして認められたんです。これからルーブルも美術の一分野としてマンガを集めていくと思います。それほど、日本のマンガ家は海外でもうアーティストとして高く評価されている。

田中:確かにヨーロッパの油絵の表し方と基本的に版画や水彩画が中心の日本とでは表し方が異なります。ヨーロッパにとっては、自分たちが世界のすべてをわかっていると思っていたところに、地球の裏側でマンガのような文化があるんだということで、他の国の文化を見てみるきっかけになったんだったら良いですね。別に日本人がそんなに宣伝したわけじゃなく、ヨーロッパの人たちが自分たちでこれは良いと思ってやり始めたという点では、お仕着せでもありません。

青柳:我々は、自然科学系のように、カチッカチッと学界に貢献して、評価されていくというのがなかなか難しい分野なんですけれども、そういう違う分野も違う文化として理系の先生方から認められるようになれば。

田中:文系の方々からは、理系は人間的な豊かさや主観がない人たちだ、 と思われている節があります。私もそれに安住していたところはあったんですが、実際に色々な方々と話し合ってみると、熱い思いというか、こうしたいなっていう気持ちを持って話される人が多いことに気づきました。元々理系の学問というのは、客観性が尊ばれて、感情を一切入れないような表し方をしているのかもしれない。でも、マンガってこれは面白いとか、これは分かりやすいとか、客観性とは多少離れるんですね。そういうところを適度にいい塩梅で含めています。マンガが理系・文系とかだけでなく、世界を理解する道具、文化のツールになるのだったら、すごく良いなと思います。もう少し幅広い人たちに、日本の文化までいかないかもしれないけれども、こういう解釈をしたら役に立つよということをもっと伝えることができればと思っていました。

青柳:これをご縁に、田中先生と組んで若者たちに理系と文系の面白さを説いて歩きたいですね。

田中:はい。マンガというもので、皆引き寄せられることを利用して、文系と理系をつなげる一例として、学術的にも意味深いものを掘り起こす、自分自身も何かそういうものを得られるような機会があればと思います。