ニュースレター No.30 会員寄稿
目次
会員寄稿
反戦・平和への想い
伊藤 誠 会員
政治経済学専攻

昭和11年東京都生まれ。 東京大学経済学部経済学科卒業、同大学大学院社会科学研究科修士課程修了。東京大学経済学部助教授・教授、國學院大學経済学部教授を務めた。瑞宝重光章、経済理論学会ラウトレッジ国際賞などを受章・受賞。著書に『マルクスの思想と理論』(令和2年、青土社)、『入門資本主義経済』(平成30年、平凡社新書)など。平成15年12月より日本学士院会員。
ロシアのウクライナ進攻開始から半年がたった。テレビニュースでの被災者の映像に心がいたむ。とくに子どもたちが空襲や砲撃のサイレンにおびえ、血液型や連絡先を記入したラベルを服につけて、地下の避難所でくらしている様子は、夜中の空襲警報のサイレンに追い立てられ、かび臭い地下の防空壕にすわりこみ焼夷弾のヒュルヒュルという落下音におびえていた幼い自分と重なる。東京から縁故疎開であずけられた外房の部落から一里離れた小学校まで、上級生にしたがい隊列を組んで通う路に、操縦士の顔も見えるところまで降下してきた爆撃機が機銃掃射し、その弾丸がねずみ花火のようにまわりを飛び跳ねていた記憶もよみがえった。非戦闘員や子どもは攻撃しない戦争はもうなくなって久しいのだろう。
長期化するウクライナ戦争においてこの夏、ヨーロッパ最大級といわれるザポリージャ原発に砲撃が加えられ、これにロシアもウクライナも相手国の砲撃と非難しあう混乱が生じている。東電福島第1原発で生じた過酷事故のような大災害が生ずる危険も増している。プーチンは核兵器使用の可能性を指示したとも伝えられ、その懸念も無視できない。
大学受験にむけて英語の勉強のつもりで読んだ、B・ラッセルの1950年代はじめの放送講演のリーフレットLiving in an Atomic Age があらためて想い起される。ラッセルは、人類を幸せにする目的で開発されてきた科学技術の成果が原爆の脅威をもたらし、いまや人類の頭上につるされたダモクレスの剣に転じている、これをどうしたらよいか、と問いかけていた。幼いころから父や兄の影響で工学を志望していた私は、この問いかけにショックをうけて社会科学を学んでみたいと進路を変えた。
歴史はくりかえすといわれる。佐々木毅会員がこのニュースレター4月号で憂えておられたように、歴史は残酷な犠牲を伴う戦争を介し動き出し、世界はふたたび深刻な分断を深めようとしている。市場原理主義のもとで、小さな政府を標榜してきた新自由主義の時代が終わり、いまや政治目的のために経済秩序を使いこなそうとする大国主義や国家主義の政治が武力衝突をともない軍事的緊張を高めつつある。
とはいえ、アメリカが第二次大戦の軍事需要で大恐慌後の失業問題を一気に払拭し、産業覇権を確立したような経済効果は、このウクライナ戦争に期待できそうにない。対ロ経済制裁の反作用をふくめ、グローバルに拡大されてきた資源や部品のサプライチェーンが破断され、エネルギー、食糧、原材料に不足や価格上昇が顕著となり、先進諸国の企業にも人びとの経済生活にも悪影響を広げている。その意味ではベトナム戦争が、アメリカの産業覇権喪失に拍車をかけた作用こそ歴史の教訓として想起されてよい。ベトナム特需で潤った日本にとっても今回の戦争は資源の不足による逆効果が目立つ。
経済開発協力機構(OECD)が6月に公表した先進諸国の経済見通しでも、今回の戦争の代償として、今年の経済成長が昨年末の予測から大幅に引き下げられている。アメリカ、ユーロ圏については4.75%、4.32%から2.46%、2.62%へ、日本は3.14%から1.7%へと改訂され、来年の予測値もきびしく抑制されている。にもかかわらず、軍事予算は日本をふくめ大きく積み増しされている。
こうした動向は、世界でも日本でも若者世代の多くが切実に期待している、地球温暖化対策としてのグリーンリカバリー政策や、教育、医療への公的保障拡充に、重大な制約を与えるおそれがある。日本の平和憲法の危機も深まりつつある。世界や日本の学問研究、とくに社会科学の研究、教育に、世界秩序の分断、亀裂が制約やゆがみを与える懸念も増しているのではないか。
どうしたらよいのか。かんたんに答えが出ることではないであろうが、ウクライナで犠牲になっている人びとや子どもたちの生活再建の苦難を思いやりつつ、世界の未来のためにこの戦争の早期終結を切に望み、反戦・平和への想いを新たにしている。
(2022.9.4 記)
会員寄稿
文系か、理系か
中西 準子 会員
環境リスク管理学専攻

昭和13年中国・大連生まれ。 横浜国立大学工学部化学工業科卒業。東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。東京大学工学部都市工学科助手、東京大学環境安全研究センター教授、横浜国立大学環境科学研究センター教授、産業技術総合研究所安全科学研究部門長を歴任。紫綬褒章受章、文化功労者。令和3年12月より日本学士院会員。
最近、理系の女子学生が少ないことが、しばしば新聞などで論じられている。確かに、大学進学率の男女差はさほど大きくはないが、理学、工学では女子の割合が極端に低い。その歪みを是正するためか、ここ10年位、理系女子を「リケジョ」などとよび、やや持ち上げる風潮がある。そして、私も「リケジョの大先輩ですね」などとおだてられることも希ではない。大学はずっと工学部であるから、確かに理系である。でも、本当に理系かな?と考えてしまう。
小学生のとき書いた将来の仕事の希望は弁護士か政治家だったらしい。中学、高校時代の部活は新聞部、社会科学研究部だった。どう見ても文系志望。しかし、高2の終わり頃のコース選択で、私は「理」を選んだ。
55年頃、日本は戦後の暗くて貧しい生活から、急に明るい生活に変わりはじめた。その原動力は何かとみると、「技術革新」だった。それまで、社会の仕組みを変えれば、世の中は良くなると信じて勉強してきたがどうも違う、「技術が社会を変えている」、その中味を知りたい、その思いで、当時の技術革新の中心が化学工業だったので、工学部の応用化学分野に進学した。
応用化学を勉強し学位をとったが、残念ながら、その分野には就職先はなかった(67年)。「女の工学博士なんて」という時代。周囲の方の努力で探すことができたポストは東大都市工学科の土木工学系講座の助手だった。そのポストが空いていたのは、下水とかごみとかの汚れ物を扱う講座で、東大の男子学生は希望しないからだった。
私は新規まき直しの気持ちで下水道・下水処理の勉強に熱中した。当時の日本は公害まみれ、下水は工場排水と共に、処理される事もなく捨てられ、真っ黒な川、泡だらけの海の原因となっていた。56年の「水俣病公式公認」から10数年。この就職が、それまで公害についての関心も知識もなかった私を、「環境問題」に引き摺り込んだ。
調査を始めて間もなく、私は国で採用している技術や、規制はおかしいと確信するようになった。それに気づいたのは、化学と工場での生産工程についての知識があったからだと思う。国が推奨し、採用している下水の処理原理が間違っていること、しかも、不経済であることを強く主張し、下水道計画の代替案を提案し、やがて、法律の専門家の助力も得て、下水道法の改正案も提案した。それらの調査結果や主張は、専門誌では掲載拒否となり、私は一般雑誌で意見を書いていった。「展望」「公害研究」「世界」「エコノミスト」など。実に、「世界」(岩波書店の月刊誌)には20回の連載を書いた。国の政策を変えたいと思っていたので、私は「縦書きの文章」を書くことにこだわった。国や自治体の環境・財政政策に関心の強い人に伝えたかったから。読者は文系素養の方が多かった。もしかして、自分には文系がむいているかと考えたこともあったが、やがて、自分の目標を考えると、理系は「武器」になる、これを捨てない方がいいと考えるに至って理系に落ちついた。
理系か、文系か、非常に能力のある人は、好み、能力の向き不向きなどで選ぶであろうが、私の例のように、社会の動きに左右されながら、選んで行く人、選ばざるを得ない人も多いのではないか。現在はITとかAIなどの活用があらゆるところで必須になっていて、理系人材が強く求められている。そうであるから、社会が必要とする人材のための組織と処遇をどうするかは、大事な国としての政策判断の筈である。かつて、「理系白書」(03年、講談社)という本が出て(元は毎日新聞の連載)、そこには、「“文系王国”の日本で全く顧みられなかった理系」と書かれていた。現在も、国や企業、大学の状況はあまり変わっていないように見える。とすれば、どうすれば理科を好きになってもらうかなどの議論よりも、社会の仕組みにまず手をつけてほしい。
やや飛躍するが、新規技術の開発や利用に向けた日本の課題の中でも、技術開発の結果を生かすためのモラルやルールについての研究や議論が低調なことは大問題であろう。このことは「反技術」の潮流を大きくし、社会の技術受容度を低下させる。この欠点を克服するために、文系と理系を隔てる垣根を低くすることが求められるが、そもそも垣根があるからこその専門だから、この要求に応えることは研究者にとってはなかなかの苦行である。