日本学士院会員の選定について
日本学士院は、令和7年12月12日開催の第1194回総会において、日本学士院法第3条に基づき、次の9名を新たに日本学士院会員として選定しました。
第1部第1分科
氏名
稲上毅(いながみ たけし)

現職等
東京大学名誉教授
専攻学科目
社会学
主要な学術上の業績
稲上 毅氏は、イギリスやドイツ、スウェーデンなどを対象にして、長期にわたって日本との国際比較的実態調査に取り組んできました。
たとえば、長期雇用慣行の有無、景気変動と雇用調整の関係、経営者の反組合主義の強弱、労働組合のメンバーシップ、経営者や組合リーダーのキャリア、同一企業内あるいは同一産業内に複数組合が存在する場合の組合間の相互対立や協調行動の調整、賃金交渉の時期とその産業間バラエティ、賃上げパターンセッターとその波及効果、労働組合あるいは従業員代表組織による経営参加の水準とその影響力、労使協議と団体交渉の関係、一国経済の国際競争力を維持向上させるための政労使による国レベルの常設的協議システムの有無、さらには、これらの背景となっている労働法制の性格とその各国間の違いを歴史的形成プロセスに遡って明らかにするなど、産業・労働社会学の水準を飛躍的に高めました。
【用語解説】
- 雇用調整
- 景気変動に伴う雇用調整に踏み切る経営判断の迅速な調整の方法としては、残業時間の増減および短期雇用者を含む人員の増減がある。
- 反組合主義
- 経営者が労働組合の存在とその活動に否定的であることをさす。
- 複数組合
- 企業内あるいは事業所内に、互いに利害を異にするいくつかの労働組合が存在することをさす。
- 賃上げパターンセッター
- 賃金交渉においてリーダーシップをとる労働組合や企業あるいは業種をさす。
- 経営参加
- 団体交渉とは別に、労働組合あるいは従業員代表組織が経営のあり方に発言し、その影響力を発揮することをさす。
- 労使協議と団体交渉の関係
- 労使協議を行って団体交渉に代替させる場合と、それとは逆に、労使協議を行わず、すべてを団体交渉によって解決しようとする場合がある。
- 一国経済の国際競争力を維持向上させるための政労使による国レベルの常設的協議システム
- いまもドイツ、スウェーデン、オーストリアなどにおいて制度化されている。ちなみに、一国の政労使による国レベルの常設的協議システムはコーポラティズムと呼ばれるが、戦前のナチズムによって代表される古いコーポラティズムに対比して、第2次大戦後のシステムはネオ・コーポラティズムと呼ばれる。
第1部第1分科
氏名
川合康三(かわい こうぞう)
現職等
京都大学名誉教授
専攻学科目
中国文学
主要な学術上の業績
中国古典文学の研究を専門とする川合康三氏の『終南山の変容 —中唐文学論集』は、副題にもあるように中唐の文学の種々相が描出され、また『中国の自伝文学』は司馬遷の「太史公自序」に始まる中国の自伝について考察を加えたうえ、中唐期に至って西欧のautobiographyの語にぴったり対応する「自伝」を題名に用いた作品が生まれたことに注目しています。このように、西暦800年を中心とする前後70年ほどの中唐期の文学が人間の精神の領域を画期的に拡大させたことを提唱するこれらの著作は、近年の学界における中唐文学研究隆盛の先導となりましたが、川合氏の研究対象は中唐の文学にとどまるものではありません。たとえば『中国の詩学』は『詩経』や『楚辞』に淵源する中国古典詩の全体像を明らかにし、『中国のアルバ —系譜の詩学』では中国古典文学の作品は様式性が強固であるが故にそれらを一つの系譜の中に置いて考察することを試みています。これらの著作が、唐代にとどまらぬ詩人たちの諸作品の訳注に示される川合氏の該博かつ周密な知識を踏まえていることは言うまでもありません。
【用語解説】
- 中国古典文学
- 3000年の間、一貫した伝統を保持してきた中国の正統的文学。日本など東アジアにも大きな影響を与えた。
- 司馬遷の「太史公自序」
- 著者司馬遷による『史記』の序文。古来、すぐれた著述は著者の苦難を機に生まれたことを列挙し、宮刑の屈辱を被った自分も生きた証しとして著述を残そうという決意を語る。
- 中唐文学
- 唐代を初唐・盛唐・中唐・晩唐の四つに区分するのは、その名が示すように、盛唐を最上の時期とする文学観に基づくが、実は中唐は宋代以降の文学を切り拓く重要な転折点であった。
- 川合康三氏の主要な著作
-
- ・『終南山の変容 ―中唐文学論集』、研文出版、平成11(1999)年。
- ・『中国の自伝文学』、創文社、昭和61(1986)年。
- ・『中国の詩学』、研文出版、令和4(2022)年。
- ・『中国のアルバ ―系譜の詩学』、汲古書院、平成15(2003)年。
第1部第3分科
氏名
宮本又郎(みやもと またお)

現職等
大阪大学名誉教授
専攻学科目
日本経済史、日本経営史
主要な学術上の業績
宮本又郎氏は、近代日本経済史の研究を志して研究者生活をスタートしましたが、近世からの長期的視野の中で近代日本経済史を捉え直したいと考え、博士論文では年貢米の大坂への収集・販売、価格形成過程を貫く市場メカニズムを詳細かつ具体的に究明し、堂島米市場では世界に先駆けて、先物取引(将来の一定期日に決済する取引)を含む組織的商品取引所が成立したこと、そしてこのような市場経済の発達が近代日本の初期条件の一つになったと主張しました。その後は近代日本の会社制度の展開過程を追究し、株式会社制度が急速に発展したこと、その過程において財閥系企業だけでなく、異系資本家たちの共同出資企業でも初期の株主主権企業から経営者企業への移行(所有と経営の分離)があったことを株主総会議事録などを用いて実証しました。また、近世末から近代にかけての「長者番付」掲載メンバーの変化を追跡し、番付上位の有力資産家層では動乱を乗り切った者が少なくなく、ここにも近世・近代の連続的発展が認められるとする重要な仮説を提起し、歴史学界に大きなインパクトを与えました。
【用語解説】
- 堂島米市場
- 江戸時代、各藩で貢租として徴収された米は、大名・家臣団で消費される部分を除いては大部分が市場で販売されたが、西日本や日本海側の諸藩では大坂に年貢米を送り、中之島などに設置した蔵屋敷でこれを販売した。販売は1枚で10石の米との販売を約束する米切手を交付する形で行われたが、購入した米仲買たちがその米切手を販売した市場が堂島米市場であった。堂島ではこの米切手を売買する「正米」(しょうまい)商いと、取引時点で米切手・現金の授受を行わず将来の一定期日に売買の差金を決済する「帳合米」(ちょうあいまい)商い(先物取引)が行われた。このような米市場は17世紀前半から開かれていたが、幕府から公認されたのは享保15(1730)年で、明治期まで続いた。堂島米市場は先物市場を含む組織的商品取引所の先駆として世界的に評価されている。
- 近代日本の初期条件
- 通常、日本の近代的経済発展は明治維新以降のこととされているが、そのスタート時点の幕末・明治初頭の経済水準はどのようであったか、いいかえれば、江戸時代の経済発展をどのように評価するかということである。幕末・明治初頭の経済水準を著しく低いものとみれば、明治維新以降の急速な経済発展は江戸期のそれと断絶したという評価となり、逆に江戸期の経済的達成をそれなりに評価し、幕末・明治初頭の経済水準はさほど低くなかったとみれば、経済発展における近世と近代との連続性を評価することになる。宮本氏は断絶的側面、連続的側面、両者を認めているが、どちらかといえば後者の系列に属する。
- 異系資本家
- ヨーロッパでは、少数の中心的資本家が立ち上げたパートナーシップが事業の拡大とともに出資者を増やし、株式会社に発展するという経路をたどり、株式会社となったのちも最初の資本家が中核的出資者として企業経営にあたった。これに対して、資本蓄積が低位な明治期日本では、財閥家族を除いては、単独あるいは少数の資本家で株式会社を立ち上げるのは困難で、政府や有力指導者のリーダーシップ、あるいは人的コネクションをたどって、様々な層から資金を集めるほかはなかった。「異系資本家」というのは、このように異なる層からの出資者のことを言う。かれらは多数の企業に出資し、取締役に就任していたものの、特定の企業の経営に積極的に関与する意思をもたなかったため、経営は管理職社員に委ねていたが、主たる関心が配当や株価の値上がりにあったため、経営者である管理職社員(雇用経営者)との間にしばしば紛糾が生じた。しかし、企業経営に専門的知識や実務経験が重要となるにつれ、次第に雇用経営者の実権が強まっていった。
- 株主主権企業から経営者企業への移行(所有と経営の分離)
- 株主代表が取締役会を支配し、株主の利害を優先する企業を「株主主権企業」、雇用経営者(専門経営者ともいう)が主導して経営が行われる企業を「経営者企業」という。また「所有と経営の分離」とは、経営者企業のように株主・所有者と経営者が分離していることを言う。
第1部第3分科
氏名
青木玲子(あおき れいこ)
現職等
公正取引委員会委員、一橋大学名誉教授
専攻学科目
経済学(産業組織論)
主要な学術上の業績
青木玲子氏は産業組織論を専門とし、研究領域は技術開発競争、特許制度、商品差別化に及びます。複占市場における技術投資競争をゲーム理論で精緻に分析し、高い国際的評価を得ています。特に、逐次投資と同時投資の比較、不完全情報下での投資シグナリングなど独自の理論を展開し、研究集約型産業の市場ダイナミクス理解に寄与しました。さらに特許制度やパテントプール、知財訴訟制度など具体的制度分析にも理論を応用しており、この点も高く評価されています。その研究からは、特許ライセンスに伴うスピルオーバーが必ずしもイノベーション阻害にならないこと、国内生産者保護を目的とした制度が長期的に技術開発を妨げる可能性など、政策的示唆も多くあります。こうした理論と応用の両面での成果は、競争政策や知的財産権の国際的議論にも影響を与えてきました。青木氏は、独創性と実務貢献を兼ね備えた貴重な研究者です。
【用語解説】
- 産業組織論
- 市場における企業の戦略や、企業の戦略行動と市場の関係を分析する経済学分野。
- 商品差別化
- 企業が戦略的に洋服のデザインや色、家電の機能など自社の商品を他者と区別するための商品設計。
- 複占市場
- 活動している企業が少ない市場。それぞれの企業の行動が市場を通じて他の企業に影響を及ぼし、他の企業の行動に自分も影響されることをそれぞれ認識して行動する。
- ゲーム理論
- 個人や企業の行動(戦略)がお互いに影響することを認識している場合の個人や企業の行動(戦略)を分析するフレームワーク。
- 逐次投資と同時投資
- 逐次投資は企業が順番に投資をする場合で、後で投資する企業は、先に投資した企業の投資額を観察してから投資するので、先に投資する企業はそれを意識して投資する。同時投資の場合は、それぞれの企業は相手の投資額を観察できない状況で投資をする。
- 不完全情報
- ゲーム理論で、個人や企業が相手の行動を左右する情報(例えば強気か弱気など)が不完全な状況。不完全とは全くわからないのではなく、弱気である確率が50%といった情報はある。
- 投資シグナリング
- 不完全情報の投資が戦略のゲームで、相手が強気か弱気かわからない場合、相手の投資行動は強気か弱気かによって投資額が異なるので、投資を観察することによって、不完全な情報(強気か弱気か)を推測することができる。その場合、投資が情報伝達信号(シグナル)になる。
- パテントプール
- 複数の特許をセットでライセンスする特許または特許所有者の集団。
- スピルオーバー
- 本来の範囲より外に影響すること。企業の技術開発投資が投資した企業以外の企業にも、例えば研究発表などによって、技術改良の恩恵がある現象。
第2部第4分科
氏名
長谷川昭(はせがわ あきら)

現職等
東北大学名誉教授
専攻学科目
地震学
主要な学術上の業績
長谷川 昭氏は、プレート沈み込み帯の典型である東北日本に高感度・高精度の地震観測網を構築し、得られた高品質データに見合う緻密な解析手法を開発することにより、沈み込み帯の地殻・マントル構造と地震・火山活動を世界のどこよりも高い解像度と精度で明らかにしてきました。スラブ内の二重深発地震面の発見に始まり、スラブ内の含水鉱物が脱水分解する深さでのスラブ内地震の集中発生の発見、プレート境界地震や内陸地震の断層面の強度が極めて弱いことを明らかにするなど、この分野で世界を先導する業績を挙げてきました。また一連の成果の帰結として、地震発生時にスラブから吐き出された水が重要な役割を果たしていることを示しました。更に、吐き出された水はマントルウェッジ内の上昇流に取り込まれて部分溶融域を生じ、最終的に地表の火山にまで到達するとする島弧火山の生成モデルを提案しました。このように、長谷川氏は、沈み込み帯の地殻・マントル構造と地震・火山活動を、高い解像度と精度で明らかにし、「プレート沈み込みに伴って移動する水」をキーワードに地学現象を理解する途を拓き、この分野の重要課題の解明に大きく貢献しました。
【用語解説】
- 沈み込み帯
- 地球表面を移動する海洋プレートがマントル中に沈み込む場所。地震や火山の活動が極めて活発である。
- スラブ
- 海洋プレートのマントル中に沈み込んだ部分。
- 二重深発地震面
- 約70kmより深い地震は沈み込んだ海洋プレート(スラブ)の中で発生し面状分布をする。この面を指して深発地震面と呼ぶ。そのうち比較的浅い部分は、互いに平行な上下2枚の面に別れて分布するので二重深発地震面と呼ばれる。
- マントルウェッジ
- 沈み込んだ海洋プレート(スラブ)直上の楔形のマントル部分。
- 部分溶融
- 温度が上昇し、あるいは圧力が低下すると、岩石は溶け始める。その際に、全体が一様に溶けるのではなく、溶けやすい化学成分だけが選択的に溶ける。この現象を部分溶融と言う。
- 島弧
- 沈み込み帯のスラブの直上に弧状に配列する列島。

プレート沈み込みに伴って移動する水 (沈み込み帯の島弧横断鉛直断面図)
第2部第5分科
氏名
藤野陽三(ふじの ようぞう)

現職等
城西大学長、東京大学名誉教授、横浜国立大学名誉教授
専攻学科目
構造工学、橋梁学
主要な学術上の業績
長大橋は、柔軟な構造特性ゆえに、風や地震などの動的外力により特有の振動現象が発生します。藤野陽三氏は、計測を通じて、群集の歩行同期による振動をはじめとする未知の現象を発見・解明し、長大橋の高精度なモデル化に大きな貢献をするとともに、振動を抑える、すなわち振動制御に関する一連の先導的研究を展開しました。さらに、振動データから長大橋の健全度を判断し、適切に対応する手法を展開し、「構造制御モニタリング学」という新しい学術分野を切り拓きました。国際学会も設立し、新分野の発展に貢献するとともに、国内外で指導的役割を果たしてきました。
【用語解説】
- 長大橋
- 径間長が200 mを越えるような橋梁を指す。径間長が約2,000 mに達する明石海峡大橋は世界的にも代表的な長大橋である。東京周辺では横浜ベイブリッジやレインボーブリッジが該当する。我が国は島国で、長大橋の建設が過去40年にわたり盛んで、長大橋の技術をリードしてきた。
- 歩行同期
- 橋梁上を多くの群集が歩くとき、歩行者の横方向の歩行力で微小な横揺れが発生する。その微小な横揺れに歩調を合わせる歩行者が一定数存在する。これを歩行同期という。そのために振動がさらに大きくなり、有意な振動に発達する場合がある。
- 振動制御
- 長大橋は柔軟性が高く、地震や風などの動的外乱を受けると往々にして有意な振動が発生する。それを抑えるために、1)外乱による入力を低減する、2)構造物の剛性を高める、3)減衰を付与する、4)付加的な構造系を導入して、その動きを利用するなど、様々な手法を通じて振動を抑制する。これらの技術を総称して振動制御という。
- 健全度
- 構造物は人工物であり、経年的な劣化や外乱による損傷が発生する。経年劣化や損傷を考慮して、構造物の健康状態を示す尺度が健全度である。
- 構造制御モニタリング学
- 構造物が動的外乱を受けて発生する有意な振動を抑える、あるいは、構造物の振動状態を常時モニタリングし、応答レベルに応じて制御力を作用させ、振動を抑える、また振動モニタリングにより外乱や構造状態を推定する、などを総称して、「構造制御モニタリング学」と言う。
- 長大橋の例
- ・レインボーブリッジ
1993年に開通した吊橋。全長798 m。ケーブルが7色にライトアップされ、海には虹のように映る。

- ・横浜ベイブリッジ
1989年に開通した斜張橋。全長860 m。図中の記号は測定点。
- ・レインボーブリッジ
第2部第5分科
氏名
大野英男(おおの ひでお)

現職等
東北大学特別栄誉教授、東北大学国際集積エレクトロニクス研究開発センター教授、東北大学先端スピントロニクス研究開発センター教授
専攻学科目
半導体物理・半導体工学、スピントロニクス
主要な学術上の業績
従来は電気の制御に用いられてきた半導体に磁気的な性質が付与することは、電子の「スピン」という性質を生かす新たな物理現象の創発と新しいテクノロジー(スピントロニクス)の創出の可能性を期待させるものでした。大野英男氏はこうした潮流の先頭に立ち、強磁性半導体の創製に成功し、それを用いて強磁性相転移、磁化保持力、磁化方向、磁壁位置の電気的制御を可能とするなど、様々な新規現象を実証し、その物理的機構を明らかにしました。大野氏のこれらの物理現象の発見は、スピントロニクス研究の世界的な潮流に大きな影響を与え、現在も多くの研究開発が行われています。また、大野氏は、これらの研究で培った知見を発展させて強磁性金属におけるスピントロニクス諸現象に関する研究にも取り組みました。特に、磁気トンネル接合素子を用いた高速・低消費電力の不揮発性メモリ技術の開発に尽力し、大規模集積回路向けの実用化を決定づける重要な成果も挙げました。
【用語解説】
- 電子の「スピン」
- 電子が持つ「小さな磁石のような性質」で、量子力学的な回転の向きを表すもの。
- 強磁性半導体
- 電気を流す半導体でありながら磁石の性質も持つ材料。
- 磁化保持力
- 磁石が磁気を失わずに保ち続ける強さ。
- 磁壁
- 磁石の中で磁気の向きが切り替わる境目。
- 磁気トンネル接合
- 薄い絶縁膜を挟んで磁石同士をつなぎ、両側の磁石の磁化方向に依存して、電子が「トンネル効果」で通る仕組み。
- 不揮発性メモリ
- 電源を切ってもデータが消えない記憶装置。

強磁性半導体(Ga,Mn)Asの結晶構造。母体のGaAsは閃亜鉛構造という立方晶の結晶構造の半導体。磁性不純物であるMnがGaと置換すると、Mnの電子スピン(矢印)が同じ方向に揃って自発的な磁化(磁石の性質)を示す。

強磁性層CoFeB の磁化が垂直磁気異方性を示すCoFeB-MgO磁気トンネル接合の断面透過型電子顕微鏡像。極薄のMgO層をスピンの揃った電子がトンネルするかしないかで、電流のオン‐オフの切り替えが起こる。
第2部第6分科
氏名
難波成任(なんば しげとう)

現職等
東京大学大学院農学生命科学研究科特任教授、東京大学名誉教授
専攻学科目
植物防疫・ファイトプラズマ学
主要な学術上の業績
難波成任氏は、昆虫が媒介して稲などの植物に、花の葉化、天狗巣、枯死などの異常を起こすマイコプラズマ様微生物と呼ばれていた植物病の病原体が、新たな細菌群であることを突き止め、ファイトプラズマと命名して、分子生物学のメスを入れて、分類体系を確立すると共に、約90万塩基対の全ゲノムを解読しました。その結果、ファイトプラズマは多くの代謝系を欠き、必要な物質の多くを宿主細胞から収奪する、新しいタイプの「最小ゲノム」生物であることが明らかとなりました。また難波氏は、昆虫がこの菌を媒介するのに必要な昆虫側と植物側の因子群を特定するなど、ファイトプラズマの特異な生活様式を解明しました。さらに、葉化や天狗巣を引き起こす病原性因子を発見し、それらの構造と機能を解明しました。同氏は、こうした成果をもとに、多くの植物病の診断法を開発・実用化し、植物を保護する研究領域「植物医科学」を立ち上げ発展させてきました。
【用語解説】
- 葉化
- 花弁や雌しべ・雄しべが葉に変化し、その(本来花になる)部分から新たに茎や枝が生じる、ファイトプラズマ病特有の症状である。花が葉に変化することから、葉化症状には鑑賞的な価値が認められてきた一方で、果実や種子の形成を阻害するため、農業生産に甚大な被害をもたらしている。
- 天狗巣
- ファイトプラズマに感染した植物が呈する特徴的な症状の一つであり、側芽が異常に発生し、小枝や小葉が密生する症状をいう。この病気は天狗が巣を作ったように見えることから、日本では古来より「天狗巣病」と呼ばれてきた。商用のポインセチアはすべてファイトプラズマを感染させ小ぶりにして販売されている。
- マイコプラズマ様微生物
- 桑萎縮病等の多くの発病植物の篩部細胞に微小細菌が局在することが、電子顕微鏡観察によって半世紀以上前に見出され、抗生物質の効果が動物マイコプラズマに似ていることから、「マイコプラズマ様微生物」と呼ばれた。

ファイトプラズマの生活環
ファイトプラズマに感染し発病した植物の篩管液を(健全)ヨコバイが吸うと、ファイトプラズマはヨコバイの腸管を経て体内に入り、増殖して全身に広がってヨコバイの唾液腺に達する。この(保毒)ヨコバイが健全植物を吸汁すると、ファイトプラズマが唾液腺から植物の篩管に移り、植物は感染・発病して、葉化・天狗巣など種々の病徴を示す。
第2部第6分科
氏名
松岡信(まつおか まこと)

現職等
福島大学食農学類附属発酵醸造研究所特任教授、名古屋大学名誉教授
専攻学科目
植物育種学
主要な学術上の業績
松岡 信氏は、我が国が世界をリードして行ったイネゲノム解析の成果を積極的に利用して、農業生産に関与する数多くの重要な遺伝子を世界に先駈けて単離・同定し、イネの分子育種の礎を築きました。「緑の革命」を引き起こした半矮性遺伝子sd1の変異は、植物生長ホルモンであるジベレリン(GA)の合成に関わる酵素が壊れて生じたことを見出し、さらにイネのGA 合成に関与する全ての遺伝子を単離してその機能を解析しました。またGAの受容体を発見するとともにGA受容の分子メカニズムを解明しました。種子数の増減を決める複数の遺伝子の単離・同定にも成功しました。特に、一穂当たりの着粒数増加に関与するGn1a遺伝子は、イネ収量を制御する重要遺伝子として高く評価され、高収量品種の作出に利用されました。コシヒカリにsd1やGn1aを導入して収量が多く倒伏しにくい改良コシヒカリを育成し、それを利用した農業ベンチャーを立ち上げるなど科学の社会実践にも注力しています。
【用語解説】
- 半矮性遺伝子
- 植物の背の高さ(草丈)を低くする遺伝子。緑の革命においてイネ、コムギ品種の改良に用いられた。
- sd1
- 「緑の革命」に貢献した半矮性遺伝子。この遺伝子機能の喪失によってジベレリンの生成が抑えられ、背が低く倒れにくいイネになる。これにより、多くの肥料を与えても倒れず、単位面積あたりの収量が増加し、高収量品種となった。
- ジベレリン(GA)
- 植物の生長を促進する植物ホルモンの一種。茎の伸長、発芽や開花の促進、果実の肥大などに関与する。
- 受容体
- 細胞が外部の信号(ホルモンなど)を受け取るための分子。特定の信号を認識し、細胞内の反応を引き起こす。
- Gn1a遺伝子
- イネの収量に関与する遺伝子で、一穂当たりの着粒数を増加させることが知られている。









