日本学士院学術奨励賞の受賞者決定について
日本学士院は、優れた研究成果をあげ、今後の活躍が特に期待される若手研究者6名に対して、第20回(令和5年度)日本学士院学術奨励賞を授与することを決定しましたので、お知らせいたします。
本賞の選考は、独立行政法人日本学術振興会の日本学術振興会賞受賞者(令和5年12月20日公表)を対象として行い、毎年6名以内に授与することとしています。 受賞者には賞状・賞牌及び副賞として記念品が授与されます。
(年齢・現職は令和6年1月12日現在)
氏名
入江 慶(いりえ けい)
生年月
昭和62年3月(36歳)
現職
京都大学数理解析研究所准教授
専門分野
幾何学
研究課題
接触幾何学、シンプレクティック幾何学とストリングトポロジーの研究
授賞理由
ニュートン力学を再定式化したハミルトン力学系では「周期現象が起きやすい」ことが知られていますが、その理解はシンプレクティック幾何学の基本問題と認識されています。ハミルトン力学系では、「任意の系は小さく摂動すると、周期解をあたえる初期条件が稠密になるようにできる」という閉補題が、「小さく」の意味を弱い意味でとった場合に基本定理としてあります。閉補題を強い意味の場合に拡張することは力学系研究の大家スメイルによる数学の18大問題の一つとして知られてきました。
入江 慶氏の研究業績の一つは、この問題を、2次元や接触幾何学に関わる3次元の場合に初めて証明したことにあります。その証明方法は4次元ゲージ理論を使う画期的なもので、他の問題にも応用され、この分野での重要な手法になりつつあります。他にストリングトポロジーに関する秀でた研究もあり、数学界で高く評価されています。
氏名
大宮 寛久(おおみや ひろひさ)
生年月
昭和53年4月(45歳)
現職
京都大学化学研究所教授
専門分野
有機合成化学
研究課題
一電子移動を誘起する有機触媒の開発とラジカル的共有結合形成反応の精密制御
授賞理由
大宮寛久氏は、触媒的ラジカル反応の開発に顕著な業績を上げました。従来の有機合成化学ではイオン反応が多用されてきました。一方、ラジカル反応は反応制御のむずかしさから敬遠され、ましてや触媒的過程の実現は困難とされてきましたが、実現できれば医薬品や機能性分子など有用化合物の合成におけるコストや環境負荷の低減に繋がり得ることから、その可能性が期待されていました。大宮氏はこの困難な課題に取り組み、有機触媒(酵素、金属に次ぐ第三の触媒)を用いたラジカル反応に先駆的成果を挙げました。すなわち、1)N-ヘテロ環カルベン触媒を用いたラジカル型炭素―炭素結合形成反応、2)可視光照射下、有機硫黄触媒を用いた炭素―酸素結合形成反応などです。これらは有機触媒によるラジカル反応の設計指針を示し、今後の学術的、実用的展開を含め、有機合成化学の可能性を大きく広げたもので高く評価されています。
氏名
片岡 圭亮(かたおか けいすけ)
生年月
昭和55年11月(43歳)
現職
慶應義塾大学医学部教授、国立がん研究センター研究所分野長
専門分野
血液内科学、がん遺伝学
研究課題
先端ゲノム技術を用いた発がんの分子遺伝学的基盤の解明
授賞理由
片岡圭亮氏は、全ゲノム解析や単一細胞マルチオミクス解析などの先端的ゲノム技術を導入・開発し、機能解析と情報解析を統合して、成人T細胞白血病リンパ腫などの悪性腫瘍における遺伝子異常に基づく病態の分子基盤を解明してきました。その中でも、PRKCB変異、PD-L1構造異常、CTLA4::CD28融合遺伝子などの新規発がん原因遺伝子を多数同定し、それらの発がんに与る分子機構や患者予後に与える影響を明らかにした研究成果は特筆されます。さらに、公的ながんゲノム大規模データを含めた横断的解析を行い、PD-L1構造異常が様々ながん種に存在することや、「がん遺伝子における複数変異」の発がんに与る機能を明らかにしました。これらは、新規の発がん機構の理解に資するばかりでなく、がんゲノム医療などの臨床応用に直結する成果です。これらの国際的にも高く評価される業績は同氏の卓越した研究能力と先見性を示しており、その将来性が強く期待されます。
氏名
長屋 尚典(ながや なおのり)
生年月
昭和55年8月(43歳)
現職
東京大学大学院人文社会系研究科准教授
専門分野
言語学
研究課題
フィリピン・インドネシアのオーストロネシア諸語を中心とした言語類型論
授賞理由
長屋尚典氏の研究領域はフィリピン・インドネシアのオーストロネシア語族の言語類型論です。例えばインドネシア共和国フローレス島で話されるラマホロット語の空間表現に着目した論文では、この言語に独特の方向詞と呼ばれる文法要素が、この言語の地理的環境および文化や慣習と深く結び付いていることを詳細なデータ分析から導きました。またタガログ語の研究では、言語コーパスを用いて談話データを観察することにより、疑問詞ano「何」や談話標識eの用法の研究を行い、タガログ語の話者のコミュニケーションの実相を明らかにしました。このように、多彩な研究手法を駆使した長屋氏の研究は、学界に対し強いインパクトを与えるのみならず、現在危機的状況にある先住民言語の保存、再活性化、奨励・向上に寄与するなど、人類全体で取り組むべき世界規模の課題への貢献、あるいは持続可能な開発目標(SDGs)の達成のための重要な要素を提供していると評価できます。
氏名
藤井 壮太(ふじい そうた)
生年月
昭和57年3月(41歳)
現職
東京大学大学院農学生命科学研究科准教授
専門分野
植物分子生物学
研究課題
植物の種間および種内生殖障壁の分子機構に関する研究
授賞理由
藤井壮太氏は、これまで一貫して植物の有性生殖における生殖隔離機構を解明するための研究を進め、多くの成果を挙げています。中でも、アブラナ科植物を材料とする研究で、異なる種間の生殖隔離の起因遺伝子SPRI1を同定した成果は特筆すべきものです。これは異種の花粉管の侵入を排除する雌性因子であり、動植物を通じて世界で初めての発見です。さらに、これに続いて、雌しべにおける防御システムを制御する転写因子SPRI2や、花粉管を停止させるペプチドなどを発見するとともに、異分野融合により多様な研究手法を導入して異種間の生殖隔離の機構を解明しつつあります。同氏の研究業績は、農作物の育種に活用されるばかりでなく、生物の種の分化と進化、さらには生命の本質の理解に資するもので、今後の研究の進展が大いに期待されます。
氏名
山下 拓朗(やました たくろう)
生年月
昭和56年4月(42歳)
現職
大阪大学大学院国際公共政策研究科教授
専門分野
経済理論、メカニズム・情報デザイン理論
研究課題
制度設計と情報設計の理論およびオークションや市場・組織分析への応用
授賞理由
山下拓朗氏はメカニズム・デザインにおいて国際的に高く評価される研究を続けています。中でも、プリンシパル・エージェント・モデルに関する業績は顕著です。このモデルでは、例えば発注者(プリンシパル)自らが望む仕様で受注者(エージェント)に仕事をしてもらうには、どんな発注書を作ればよいかという問題が扱われます。これにより組織ガバナンスの問題の理論化が可能になり、数えきれないほどの論文が書かれてきました。山下氏はこのモデルを複数の発注者と複数の受注者がそれぞれ競争するメカニズム・ゲームの環境に拡張し、その分析手法を提唱しました。国家間の垣根が低まり、多国籍企業が活動拠点を選んだり、人々が自分の生活する国を選べる世界では、国家の税制や移民政策は、多数の国家と非常に多くの人々の間でのメカニズム・ゲームとして分析できます。こうした問題を扱う基礎を築いたという点で、山下氏の業績は高く評価できます。