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日本学士院賞授賞の決定について

日本学士院は、令和4年3月14日開催の第1157回総会において、日本学士院賞9件9名(うち河西春郎氏に対し恩賜賞を重ねて授与)、日本学士院エジンバラ公賞1件1名を決定しましたので、お知らせいたします。受賞者は以下のとおりです。

1. 恩賜賞・日本学士院賞

研究題目

大脳シナプスの形態可塑性法則の発見

氏名

河西春郎(かさい はるお)

河西春郎

現職等

東京大学大学院医学系研究科教授、東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)主任研究員

生年(年齢)

昭和32年(65歳)

専攻学科目

生理学・神経科学

出身地

北海道中川郡美深町

授賞理由

 河西春郎氏は、大脳の神経細胞間の興奮性結合を担うスパインシナプスが、学習に伴って素早くその形態と機能を変えることを発見し、スパイン形態やその運動と脳機能や精神疾患との関連を明らかにしました。まず、2光子励起顕微鏡ケイジドグルタミン酸に適用して、スパイン形態が機能と強く連関すること、刺激によりスパイン形態が長期増大してシナプス機能も持続的に増強することを見出しました。このスパイン形態増大過程において、増大の力は筋肉の収縮力に匹敵し、BDNFやタンパク質合成が関係し、ドーパミンの強い修飾を受けることを示しました。また、頭部増大の速い相では、スパインは軸索終末を力学的に押しその機能を20分間増強すること、更に自発的な揺らぎ運動によりスパインは生成消滅を起こし、この過程がスパイン体積分布を決めていることを明らかにしました。このように、河西氏は大脳のシナプスが化学伝達を担うだけでなく、形態可塑性法則に従って運動することを見出し、この分野の発展に世界的な貢献をしました。


【用語解説】

スパインシナプス
大脳のシナプスの約8割は興奮性(グルタミン酸作動性)で、その9割が樹状突起のスパインと呼ばれる1μm以下の棘にできる。即ち、大脳のシナプスの多く(約7割)はスパインシナプスである。スパインには頭構造と首構造があり多型性が高いが、頭部の大きさと機能が強相関することが2光子アンケイジング法で明らかになった。
2光子励起顕微鏡
近赤外の超短パルスレーザーをレンズで集光して強い光の強度を達成すると、焦点でだけ点状の励起が起きるが、これにより断層的な蛍光色素や光活性分子の励起が可能となり、その現象を利用したものが2光子励起顕微鏡である。
ケイジドグルタミン酸
光を照射することで開裂してグルタミン酸を放出する試薬。
BDNF(brain-derived neurotrophic factor)
脳由来神経栄養因子。神経細胞の生存・成長やシナプスの亢進に必要な液性タンパク因子の一つ。数々の精神疾患(うつ病など)との関連が示唆されている。
ドーパミン
脳内快楽物質とも呼ばれ、その濃度の上昇は快情動を起こし、条件学習を強化する。一方、その濃度の低下は不快情動を起こし、条件学習を弱化する。
軸索終末
神経細胞は活動電位を送り出す軸索と、シナプス入力を受け取る樹状突起の二種類の突起を持つ。軸索はその経路の途中で樹状突起と沢山のシナプスを作るが、それらのシナプス部分はやや膨れており軸索終末という。
化学伝達
軸索終末に活動電位が伝わると、シナプス小胞が細胞膜に融合して小胞内の神経伝達物質が放出される。放出された伝達物質を樹状突起のシナプス後部の受容体が受容して、シナプス後応答を生じる。これらの過程を化学伝達と呼ぶ。
脳の神経回路とスパインシナプス
大脳シナプス形態可塑性法則

2. 日本学士院賞

研究題目

日本経済の発展と財閥本社—持株会社と内部資本市場

氏名

武田晴人(たけだ はるひと)

武田晴人

現職等

東京大学名誉教授、(公財)三井文庫長

生年(年齢)

昭和24年(72歳)

専攻学科目

日本経済史

出身地

東京都目黒区

授賞理由

 武田晴人氏は、著書『日本経済の発展と財閥本社持株会社内部資本市場』(東京大学出版会、2020年2月)において、三井・三菱・住友の三大財閥の企業組織を、財閥同族と本社および子会社群の三層として捉え、財閥の経営戦略が本社と子会社によっていかに決められ、投資資金が財閥内外からいかに調達されたかを明らかにしました。
 武田氏によれば、財閥同族は所有者としての利害は主張しつつも利益の取得を抑制して再投資を優先し、経営戦略は子会社群の提案を踏まえつつ本社が決定するが、資金調達の責任は本社が担い、子会社はリスクの高い投資を行う起業の自由度を与えられていました。
 こうして三大財閥は、通説と異なり、軽工業よりも重工業への投資を積極的に展開するため、多額の資金を必要としていました。必要資金を財閥内部で調達できたという「自己金融」説は、1920年代の不況期における一時的特徴であると武田氏は見なしました。

このようにして、武田氏は、財閥内外から本社が調達した資金を用いて、子会社群が活発な活動を展開したというダイナミックな財閥像を打ち出し、三大財閥を中心とする近代日本経済史・経営史の研究に大きく貢献しました。

【用語解説】

財閥本社
独占的資本家や企業家の一団である財閥の本社。財閥の同族によりほぼ全額出資で設立され、財閥企業群の持株会社として、経営戦略の立案・調整、資金調達を担った。
持株会社
株式の所有によって子会社群の企業統治を担うことを目的とする会社であり、その保有する株式などの金融資産の操作を通して資金調達を行った。
内部資本市場
企業組織内部での資金の移動を、企業間の市場を介する資金移動と類似したものと見なした用語。
財閥同族
財閥の出資者として君臨していた創業者一族を指す用語。日本の財閥では、事業利益の再投資を優先することに特徴があり、同族を構成する家族それぞれに持分が定められていたが、これを処分する自由はなかった。

3. 日本学士院賞

研究題目

有機希土類化学の創成と新しい合成手法の開拓

氏名

侯召民(こう しょうみん)

侯召民

現職等

理化学研究所開拓研究本部侯有機金属化学研究室主任研究員、 理化学研究所環境資源科学研究センタ ー先進機能触媒研究グループグループディレクター

 

生年(年齢)

昭和36年(60歳)

専攻学科目

有機金属化学

出身地

中華人民共和国山東省

授賞理由

 侯 召民氏の研究業績は有機希土類化合物の創製と反応開拓に関するものです。初期の研究では、有機化学反応において古くから仮定された不安定中間体(化学反応の中間体のうち、不安定なもの)であるケチルラジカルを希土類金属錯体として単離し、構造解明しました。続いて希土類金属のハーフサンドイッチ型錯体を種々合成し、それらの特異な反応性を明らかにしました。中でも、多核ヒドリドクラスターの動的構造変化に関する研究により、従来と比べ穏和な条件で小分子の変換が達成できるとの発見は、今後、工業的応用が期待されます。また、希土類カチオン型錯体の特異な触媒活性や選択性を発見し、従来困難とされた炭素-水素結合の切断に基づく触媒的有機合成法や、オレフィン精密共重合反応などを実現しました。特にエチレンとアニシル置換プロピレンとの共重合により得られる自己修復性ポリマーの発見は特筆に値します。侯氏の有機希土類化学の研究とその物質合成への展開は、関連学術分野の発展ならびに人類の福祉に貢献するものです。


【用語解説】

有機希土類化合物
希土類金属を中心金属とする有機金属化合物。希土類金属は元素の周期表で第3族にある、スカンジウム(Sc)、イットリウム(Y)と原子番号57のランタン以下のランタノイド族の計17元素の総称で、レアアースとも呼ばれる。
ケチルラジカル
ケトンが一電子を与えられて生じるアニオンラジカル(陰イオンを持つ原子の集合体)。通常の条件では不安定で、酸素や水を除去した系で発生させることができる。
ハーフサンドイッチ型錯体
2つの平面分子(シクロペンタジエニル基など)が上下から中心金属を挟み込んだ錯体をサンドイッチ型錯体と呼ぶ。この平面分子が1つだけの場合がハーフサンドイッチ型錯体。
多核ヒドリドクラスター
複数の金属原子とヒドリド原子からなる錯体のこと。
カチオン型錯体
中性の金属錯体から陰イオン性の配位子が引き抜かれた正の電荷を持つ錯体。
オレフィン
エチレン(CH2=CH2)、プロピレン(CH3CH=CH2)など、分子内に炭素-炭素二重結合(C=C)を持つ炭化水素化合物。
精密共重合

2種以上の分子量の小さい物質(単量体)が重合して分子量の大きい物質(共重合体)を生成する反応を共重合という。生成物である共重合体の物性は単量体の配列に左右されるが、この配列を精密に制御した共重合を精密共重合という。

アニシル置換
ベンゼンの水素1個をメトキシ基(–OCH3)に置き換えた化合物(C6H5OCH3)をアニソールといい、これが置換基となる場合を指す。
自己修復性ポリマー
損傷が生じても、自発的あるいは簡易な操作で修復される高分子化合物のこと。

ハーフサンドイッチ型希土類錯体に基づく触媒創成希土類触媒によって創成された自己修復性ポリマー

4. 日本学士院賞

研究題目

スピン流物理学の先駆的研究

氏名

齊藤英治(さいとう えいじ)

齊藤英治

現職等

東京大学大学院工学系研究科教授、 東京大学Beyond AI研究推進機構教授、東北大学材料科学高等研究所主任研究者、東北大学名誉教授、日本原子力研究開発機構先端基礎研究センターグループリーダー、東京大学ナノ量子情報エレクトロニクス研究機構教授

生年(年齢)

昭和46年(50歳)

専攻学科目

物性物理学

出身地

東京都目黒区

授賞理由

 齊藤英治氏はNiFe/金属複合膜における系統的な実験により、スピン流によって強い電場が発生することを世界に先駆けて観測しました。これは、電流によってその垂直方向にスピン流が発生するスピンホール効果の逆過程に対応し、「逆スピンホール効果」と呼ばれます。この発見によりスピン流の検出がはじめて可能となり、スピン流の研究やスピン流を使った様々な研究が世界中で盛んに行われるようになりました。
齊藤氏はさらに、逆スピンホール効果によるスピン流検出の手法に基づいて研究を展開し、絶縁体スピン流、スピンゼーベック効果、スピンホール磁気抵抗効果、動的スピン流生成など、スピン流科学における基礎物理現象の多くを観測してきました。スピンゼーベック効果は温度差によりスピン流が発生する現象で、熱エネルギーとスピン流の間のエネルギー変換現象です。スピン流は逆スピンホール効果によって起電力を発生するため、スピンゼーベック効果は熱発電や熱流センサーなど応用面についても期待されています。


【用語解説】

スピン流
電子は電荷とスピン(電子の自転により生まれる磁石の性質)を持つ。スピンの向きによって電子の移動の方向が異なると、スピン流が発生する。スピン流には電子の移動を伴わない、スピン波によるものもある。
スピンホール効果
電子の軌道は、スピン軌道相互作用によって曲げられる。この効果はスピンの方向によって異なるため、電流と垂直の方向にスピン流が発生する。これをスピンホール効果という。
逆スピンホール効果
スピンホール効果の逆過程であり、スピン流に垂直方向に電圧が発生する現象を逆スピンホール効果という。
スピンゼーベック効果
通常のゼーベック効果は温度差により電圧が発生し、電流が流れる現象。これに対し、温度差によりスピン流が発生する現象をスピンゼーベック効果という。
左:伝導電子によるスピン流  右:スピン波によるスピン流

左:伝導電子によるスピン流  右:スピン波によるスピン流

逆スピンホール効果:スピン流JSの垂直方向に電場EISHEが発生する。

逆スピンホール効果:スピン流JSの垂直方向に電場EISHEが発生する。

5. 日本学士院賞

研究題目

氷期-間氷期サイクル10万年周期の機構の解明

氏名

阿部彩子(あべ あやこ)

阿部彩子

現職

東京大学大気海洋研究所地球表層圏変動研究センター長・教授、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻地球惑星システム科学協力講座教授、国立極地研究所客員教授

生年(年齢)

昭和38年(58歳)

専攻学科目

地球物理学・気候学・地球惑星科学

出身地

横浜市中区

授賞理由

 地球上では直近の約100万年において、氷期と間氷期が10万年周期で交互に現れました。この気候変動の要因は、地軸の傾きなど地球軌道要素の変動による日射量分布の変化にあるとされました(ミランコビッチ仮説)。阿部彩子氏らは、気候モデルMIROCを用いて過去の地球軌道要素を初めとする様々な条件下の地球の気候を再現するとともに、新たに開発した氷床モデルIcIESと組み合わせることにより、10万年氷期-間氷期サイクルを再現することに成功しました。また、この気候変動の鍵が日射量の変化だけでなく、気候と氷床の不可逆的応答や地殻マントルの役割、さらに大気中二酸化炭素濃度ー氷床相互作用などにあることを指摘しました。地球システムに内在するフィードバックが実際の気候変化に及ぼす影響を数値実験で明らかにする一連の古気候モデリング研究は、地球環境変動や生命の進化を理解する上で、重要な礎となります。


【用語解説】

MIROC(Model for Interdisciplinary Research on Climate)
気象庁の数値予報モデルを基に東京大学、国立環境研究所、海洋研究開発機構などで共同開発された気候モデル計算コード。太陽放射、地球軌道要素や大気組成を入力とし、地球全体の大気と海洋、陸面の数百からの数千/数十層の格子の放射伝達や大気海洋大循環に伴う気候の時空間変化が計算され、「仮想地球」の気候数値実験(シミュレーション)に用いられる。
氷床
地球上の降雪起源の氷が長年堆積し流動する大陸規模の氷河。過去には北米、ユーラシアの各大陸に広がったが、現在は南極とグリーンランドにのみ存在する。
IcIES(Ice sheet model for Integrated Earth-system Studies)
氷床を非ニュートン粘性流体として温度や流動を求め、基盤地形や地殻マントルの影響を考慮した氷床の成長や後退を表現した日本で開発された数値モデル。
地球システムに内在するフィードバック
気候や地球の複雑システムには、気温変化を増幅したり抑制したりする効果があり、各々正と負のフィードバックと呼ばれる。氷期-間氷期サイクルでは、通常の気温と水蒸気や雪氷などの表層環境の間の数年スケールのフィードバックに加えて、気温と氷床量、植生、深層海洋循環や大気中二酸化炭素量などの間で数十年~数千年の長期的なフィードバックがあり、多重解の存在など気候変化理解の鍵となる。
氷期-間氷期サイクル10万年周期の機構の解明

6. 日本学士院賞

研究題目

計算論的神経科学による脳機能の解明とブレインマシンインタフェースの開発

氏名

川人光男(かわと みつお)

川人光男

現職

(株)国際電気通信基礎技術研究所(ATR)脳情報通信総合研究所長、(株)国際電気通信基礎技術研究所(ATR)脳情報研究所長、(株)XNef代表取締役CEO、金沢工業大学客員教授、富山県立大学特任教授

生年(年齢)

昭和28年(68歳)

専攻学科目

計算論的神経科学

出身地

富山県高岡市

授賞理由

 川人光男氏は小脳の中に外界の内部モデルが獲得されるという「小脳内部モデル」理論を提唱し、運動制御や視覚・聴覚など複雑な時空間パターンを情報処理・学習するための神経ネットワークの計算科学的研究を一貫して進めました。例えば、ヒトがコンピュータマウスなどの新しい道具を使用する時には、ヒト小脳の一部に道具の内部モデルが学習されることを、機能的MRIを用いて示しました。その小脳内部モデルの神経回路をヒト型ロボットに組み込んで、ロボティックスと神経科学を統合した新しい計算論的神経科学の研究パラダイムを作り出し、人が自然に考えただけでロボットを思うとおりに制御するブレインマシンインタフェース(BMI)、中でも体に負担をかけない非侵襲脳活動計測によるBMIの開発に成功しました。更に、BMIと人工知能技術を組み合わせたデコーディッドニューロフィードバック法を開発し、精神疾患の診断と治療に新たな道筋を示しました。


【用語解説】

小脳
脳の一部で主に運動制御などをつかさどる。
内部モデル
外界に存在する物や機能が働く仕組みを脳やコンピュータの内部に何らかの形で表現すること。
計算科学的研究
科学現象や科学分野をコンピュータを使って解明しようとする研究の方法。「Computational X」(計算科学的 X:Xのところには気象学、化学、神経科学など学問分野名を入れる)などという。
機能的MRI
脳内の血流変化による信号を計測することにより、どの部位で脳の活動が盛んかをマップとして画像化する装置
ブレインマシンインタフェース(BMI)
脳活動を計測処理することで、物理的な指示器を用いずに考えるだけで機械を制御する仕組み。
非侵襲脳活動計測
手術によって脳に電極を埋め込むといった体に直接負担のかかる(侵襲的)方法でなく、取り外しが簡単な機器を装着するなど侵襲的でない方法で脳活動計測をすること。
デコーディッドニューロフィードバック(DecNef)法
特定の脳部位の活動を解読し、それと目標とする脳情報パターンとの類似度を視覚報酬として被験者にフィードバックすることで、本人が意識することなく特定情報に対応する脳活動を実現できる技術。
BMI技術を用いた精神疾患の診断、最適治療選択、創薬支援、治療技術の開発

これまで症候に基づき診断されていた精神疾患について、fMRI画像による客観的な診断技術を開発し、その診断技術に基づき、これまで一まとめにされていた疾患の当事者を少数のグループに層別化し、特定のグループや、特定の症状に最適な個別治療法を提供、創薬支援にも活かす。

7. 日本学士院賞

研究題目

フォトニック結晶による光制御法の極限的開拓と半導体レーザ高度化への応用

氏名

野田進(のだ すすむ)

野田進

現職

京都大学大学院工学研究科教授、京都大学大学院工学研究科附属光・電子理工学教育研究センター長

生年(年齢)

昭和35年(61歳)

専攻学科目

光量子電子工学

出身地

京都府船井郡京丹波町

授賞理由

 野田 進氏は、屈折率が異なる2種類の素材を光の波長ほどのピッチで整然と並べた「フォトニック結晶」と呼ぶ人工構造の研究を先導し、独自の構造を考案・製作することで、光の波を極限的に制御する道を拓きました。これにより、様々な光学的性質や機能が実現でき、また、半導体レーザの性能や機能が格段に高度化できることを示しました。特に、微細な孔を規則的に設けた厚さ0.5μm以下の極薄膜に、孔のない極微領域を設け、その近傍の孔の配列を工夫することで、光の漏れの極めて少ない、性能指数(Q値)が1千万に及ぶ、極微小共振器として機能することなどを示しました。また、膜面に微細孔を周期的に設けた構造を発光層近傍に埋め込んだ半導体レーザ(=フォトニック結晶レーザ)を発明し、発光層の面積を拡大しても光のモード(姿態)が乱れず安定した状態で発振可能なことを示すとともに、今後のスマート社会(自動運転等)に不可欠なレーザ・レーダなどに適した高出力かつ高品質の光ビームが出射可能なことなどを実証しました。


【用語解説】

フォトニック結晶
屈折率の異なる2種の物質を光の波長ほどのピッチ(典型的には0.5μm)で整然と並べた構造の総称。2種の膜を交互に積んだ構造は、膜に垂直方向に1次元的な周期性を持つが、2次元や3次元の周期性を持つ構造が本研究の対象になっている。
半導体レーザ
素子中央部に発光層を設け、上側に設けたN型半導体から電子を供給し、下側に設けたP型半導体から正孔を供給し、電子と正孔の結合により光の増幅作用をもたせつつ、発光層の近くに設けた共振器中で増幅・共振させ、波長幅の極めて狭い光を出射する素子。
Q値
共振器内に閉じ込められた波は、鏡の作用で多重に反射されるが、損失により徐々に減衰する。蓄えられた波のエネルギーが約3割に減るまでの波の振動回数に2πを掛けたものをQ値と呼ぶ。
共振器
光波や電波を反射する鏡に囲まれた空間のこと。波は鏡による多重反射で空間内に閉じ込められるが、反射の際には特定の波長(振動数)の波が強め合い、共振する。
モード
共振器の中に閉じ込められた波の振動形態(姿態)のこと。
レーザ・レーダ
レーザビームを種々の方向に発射し、物体に反射された光の時間遅れと強さを計測し、反射物体の位置・反射率・形状などを検出する装置。ライダとも呼ばれる。

図1 極薄膜に整然と孔を開けた2次元フォトニック結晶と光閉じ込め機能実現への応用例:(左)薄膜内を自由に動ける光波を、周期配列した孔で反射させ、孔のない部分に閉じ込める。端部の孔の位置調整により、反射時の上下光漏れを抑制。(右)孔の配列周期を僅かにずらして、接続部で反射を生じさせ、光波を中央部に閉じ込める。接続部の反射は極めて緩やかで上下光漏れがさらに抑制。


図1

図2 2次元フォトニック結晶を発光層近傍に埋め込んだ半導体レーザ(=フォトニック結晶レーザ)とその動作特性:(左)構造例。高品質の光ビームが殆ど広がらずに出射される。構造変調によりビーム走査なども可能。(右)本レーザに電流を流し、高い光出力を得た事例。
図2

8. 日本学士院賞

研究題目

カルマンフィルタによる逆解析法の展開と地盤工学への応用に関する研究

氏名

村上章(むらかみ あきら)村上章

 

現職

京都大学理事・副学長、京都大学名誉教授

生年(年齢)

昭和31年(65歳)

専攻学科目

農業農村工学・地盤工学

出身地

広島県廿日市市

授賞理由

 村上 章氏は、カルマンフィルタ条件付き確率論に基づき、正則化項を付加することにより、過去の地盤変形の記録から、複数の地盤定数が推定できることに着目しました。そして、地盤の挙動を表す有限要素法と組み合わせた逆解析法により、世界に先駆けて推定精度の良い地盤定数の推定法を確立しました。村上氏の研究以前は、地盤定数は一定として扱われ、実際の地盤定数は未知であり推測にとどまっていましたが、同氏の研究によって初めてその変動状況が明らかにされました。そして、飛躍的に推定精度の高い地盤変形の予測を可能としました。さらに、この理論は地盤変形による危険予知にも道を拓き、貯水池・ダムの崩壊予測、高水圧化のトンネルの掘削速度の調整、地下に存在する空洞の位置・形状の予知などを可能にしました。これらの研究成果は日本各地の地盤変形予測や危険予知に実際に広く役立っており高く評価されています。


【用語解説】

カルマンフィルタ
ルドルフ・エミル・カルマン氏(1930-2016)によって1960年に発表され、離散的な誤差のある観測記録から、時々刻々と変化する状態量を推定する制御理論。アポロ計画などで人工衛星やロケットの軌道推定に用いられた。
条件付き確率論

カルマンフィルタの基本原理をなす概念で、通常1つの観測では1つの定数しか決定できないのに対し、カルマンフィルタではこの理論を過去の観測に適用し正則化項を導入することにより、複数の状態変数を定めることを可能にした。

正則化項
推定したい状態量の事前情報に基づく項を指し、地盤定数を推定する際の最小問題を安定化させる働きがある。
有限要素法
地盤の変形は、分割した小領域の節点数に対応した次元の連立方程式により、節点位置での物理量として数値的近似解が求められる。この手段を有限要素法と呼ぶ。
逆解析法
与えられた地盤定数のもとで有限要素法により地盤変形が求められるが、逆に地盤変形から有限要素法を介して地盤定数を求めることは容易でない。村上氏はカルマンフィルタに着目し、複数の地盤定数を推定する方法を開発した。
カルマンフィルタ有限要素法

9. 日本学士院賞

研究題目

がんの動体追跡放射線治療・粒子線治療に関する医理工学研究

氏名

白土博樹(しらと ひろき)

白土博樹

現職

北海道大学大学院医学研究院教授、北海道大学ディスティングイッシュトプロフェッサー、北海道大学医学研究院医理工学グローバルセンター長

生年(年齢)

昭和32年(64歳)

専攻学科目

医学・医理工学

出身地

札幌市北区

授賞理由

 がん放射線治療では、周囲の正常細胞に当たる放射線の量と範囲を減らし、がんにだけ放射線を集中することが重要です。「体内で呼吸や腸動などで動いている臓器に発生したがんにどのように正確に放射線を集中するか?」に関して、全世界が良い解決策を見つけられずにいました。白土博樹氏は、がん近傍に留置した金マーカをパターン認識技術にて0.033秒毎に自動認識し、計画した3次元位置から±1-2mmにがんが位置している間だけ治療用X線の同期照射を行う動体追跡放射線治療を産学連携で開発しました。小型の肺・肝がんなどで手術に匹敵する成績を挙げつつ、「腫瘍の動き」に関する重要な発見により、時空間精度を飛躍的に高めた4次元放射線治療の領域を開拓しました。さらに、大型のがんへの放射線集中性に優れる動体追跡粒子線治療を開発し、これを保険診療に繋げ、装置・技術を世界に普及させるとともに、人材育成にも努めています。


【用語解説】

がん
体内の様々な臓器の中のある細胞の異常増殖から始まり、初期には同一部位で増殖しているが、その後、周囲への浸潤・転移を来たし、無治療のままだと患者を死に至らしめることもある。我が国の死亡原因の第一位であり、その治癒のためには、できるだけ初期に診断して、全身への転移が広がる前の段階で、手術療法、放射線治療、薬物療法などにて治療をすることが重要。
放射線治療
物質を電離することが可能なX線などの放射線を細胞に大量に照射すると、細胞が死滅することを利用する治療法。
パターン認識技術
画像データ等の中から一定のパターン(例:金マーカの形状)をコンピュータで自動抽出する技術。
同期照射
ある信号が予め設定した条件を満たす間だけ、放射線を自動的に照射する技術。
粒子線治療
体をすり抜けるX線の代わりに、体の任意の深さで停止することができる陽子線や炭素線を利用した、放射線治療。
保険診療
日本の国民皆保険制度を利用することが認められた診療行為。
初代動体追跡放射線治療装置

初代動体追跡放射線 治療装置

動体追跡陽子線治療装置

動体追跡陽子線治療装置

動体追跡装置で発見された肺がんの動き

動体追跡装置で発見された肺がんの動き

動体追跡なし(左)とあり(右)の照射範囲

動体追跡なし(左)とあり(右)の照射範囲

10. 日本学士院エジンバラ公賞

研究題目

分子レベルの高度同位体比分析法を駆使した生物界変動解析法の構築と応用

氏名

大河内直彦(おおこうち なおひこ)

大河内直彦

現職

海洋研究開発機構海洋機能利用部門長、海洋研究開発機構海洋機能利用部門生物地球化学センター長

生年(年齢)

昭和41年(55歳)

専攻学科目

地球科学

出身地

京都市伏見区

授賞理由

 大河内直彦氏は、多様な化合物の集合体である天然物からテトラピロールやアミノ酸など特定の化合物を単離し、それらの分子レベルの炭素・窒素同位体自然存在比を精密に測定する分析技術を大きく発展させました。そして、この高度同位体比分析法を地球科学・環境科学・生態学・水産学・人類学など様々な分野の研究者と共同して展開・応用し、環境解析において顕著な成果を挙げました。具体的には、海洋中を漂う細粒粒子の動態が気候変動に大きく影響を受けること、石油根源岩シアノバクテリアの遺骸を主な起源としていること、琵琶湖における20世紀の富栄養化が湖に生息する魚類の栄養段階にほとんど影響を及ぼさなかったこと、ウナギの稚魚がマリンスノーを食べていたことなどを明らかにしました。大河内氏が発展させた解析法は、環境中の生物界の変動の解析において非常に重要な手段となっています。


【用語解説】

テトラピロール
五員環構造をもつピロール環が4分子集合した化合物群のこと。クロロフィルの中心環やヘムなどがこれに含まれる。
炭素・窒素同位体自然存在比
自然界には、質量数13の炭素(13C)および質量数15の窒素(15N)が通常の原子(それぞれ質量数12のものと14のもの)に混じってごくわずか含まれており、それらの存在比、つまり13C/12C比と15N/14N比のこと。
細粒粒子
主として64マイクロメートル以下のサイズをもつ粒子のこと。
石油根源岩
石油の元となった堆積岩のこと。そのほとんどは、有機物を多く含み、黒色を呈する頁岩(けつがん。薄く層状に剥がれやすい性質をもつ)である。
シアノバクテリア
酸素発生をともなう光合成を行う細菌(原核生物)の一群のこと。かつて「藍藻」とも呼ばれた。
マリンスノー
海水中を沈んでいく生き物の遺骸など、主として有機物からなる粒子のこと。
多様な化合物の集合体である天然物から特定の化合物を取り出してその同位体比を正確に測定し、同位体比を変動させる要因を理解するとともに各分野に応用して自然界で起きた事象を読み解く。

多様な化合物の集合体である天然物から特定の化合物を取り出してその同位体比を正確に測定し、同位体比を変動させる要因を理解するとともに各分野に応用して自然界で起きた事象を読み解く。