日本学士院

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天皇陛下おことば(日本学士院第100回授賞式 平成22年6月21日)

本日、日本学士院が第100回授賞式を迎えたことは誠にめでたく、参列者一同と喜びを共にしたいと思います。また、この度受賞された皆さんの業績に対し深く敬意を表し、心からお祝いいたします。

日本学士院は明治12年東京学士会院として誕生し、明治39年帝国学士院となり、先の大戦後、昭和22年に日本学士院に改称され、今日に至っています。授賞制度が始められたのは帝国学士院の時代で、恩賜賞の授与が明治44年、帝国学士院賞がその翌年から始められました。

第1回の恩賜賞は国際共同緯度観測事業に携わり、計算式にz項を加えることによって、日本の観測値の正確さを世界に示した木村栄(ひさし)博士に贈られました。その翌年の第2回恩賜賞は、有賀長雄博士の「仏文日清戦役国際法論」及び「仏文日露陸戦国際法論」、富士川游(ゆう)博士の「日本医学史」、平瀬作五郎氏のイチョウの精子発見の研究、池野成一郎博士のソテツの精子発見の研究に、それぞれ贈られました。また、第1回帝国学士院賞はアドレナリンを発見した高峰譲吉博士が受賞しました。これらの受賞対象となった研究の幾つかは、日本国内における世界に先駆けた学問の成果であり、このことは、過去欧米から学んできた科学を、日本人自身が発展させ、世界に貢献できるまでになってきたことを示すものであり、その努力を思い、誇らしく感じています。また、有賀博士の研究については、日清戦争と日露戦争において、日本が国際法を守ったことを立証し、これを世界に紹介したことが受賞の理由として挙げられています。この時代、国際法を守ることがこのように称揚されたことに深い感慨を覚えます。

両賞の授賞は毎年行われ、先の大戦中も中断されることはありませんでした。昭和20年の授賞式は、空襲が頻繁に行われる中で挙行され、日本人がいかに学問を大切に考えてきたか、深い感動を覚えます。戦後の厳しい環境の中で、学問の復興を成し遂げ、更に発展させることができたのは、このような学問に対する熱意と努力に負うところが大きかったことと思います。

今日、科学技術は日進月歩の勢いで発達してきています。しかし、科学技術の歴史を振り返るとき、その進歩は諸刃の剣として人類の幸せに作用してきたように感じられます。科学技術の進歩が人類に不幸をもたらすことなく、真に人類社会の幸せに役立つようにするために、世界の人々が互いに協力し合っていくことが切に期待されるところです。

終わりに当たり、第100回の授賞式を迎えた日本学士院が、今後とも碩(せき)学の府としてあり続け、世界の学界と相携え、我が国と世界の人々のために寄与するよう願い、授賞式に寄せる言葉といたします。