日本学士院

第42回公開講演会講演要旨

共通テーマ 瀬戸内における経済発展と干拓

1) 前近代瀬戸内海地方の人口と経済   速水 融   

 江戸時代の瀬戸内海地方は、恵まれた環境、当時の全国中心市場であった大坂と直接海路で結ばれていたことによって、日本の他の地域に比べれば、富裕で、文化的にも発展していた。なんといっても瀬戸内海は航路として適しており、沿岸はもちろん、九州各地、さらには関門海峡を経由して北前船や西回り航路の帆船が行き来し、風待ちの港が栄え、この地を潤した。しかも、地形が平坦地あり、傾斜地あり、島嶼あり、多様でそれに応じた特産物が多く、民間に富を与えた。また、各藩も保護育成政策やある場合には独占政策をとって藩財政の健全化を図った。  この講演では、明治後期における本格的な工業化以前に、そういった産業の展開があったこと、そのことがそれ以後の工業化の基礎を築いたこと、また、従来はあまりとりあげられてこなかったが、人口の状態、変動という視点を入れて報告する。

2) 瀬戸内における干拓
—児島湾ならびに笠岡湾干拓を中心として—   沢田敏男

 日本の平野の多くは、河川の沖積作用によって形成されたものであるが、瀬戸内における平野部も、そこに流れる諸河川によるものが殆どである。なかでも、吉備の三大河川である吉井川、旭川、髙梁川のもたらした土砂による岡山平野や倉敷平野等の形成は、その典型といえよう。このような、沖積地において、農耕を営むためには、防潮堤が必要であり、おおよそ400年位前から、本格的な堤防の築造による干拓事業が行われるようになった。さらに、干拓地における稲作に不可欠である、かんがい用水を確保するための水利事業が施行されている。第2次世界大戦後、児島湾沿岸干拓地に対する用水対策として企画された児島湾淡水湖事業は、近代的科学技術を駆使して1959年に完成した。
また、笠岡湾沿岸における干拓の歴史も古く、干拓による土地の造成は、この地域の農業はもちろん、都市の形成・発展にも深く関係している。とりわけ、1990年に完成した笠岡湾干拓事業は、大規模営農の確立や工業基盤の整備のための土地の造成と共に、用水確保のための髙梁川導水事業を併せ施行したものである。
以上のような、瀬戸内における主な干拓の歴史的考察や科学技術的進展等について述べる。