日本学士院

PJA ニュースレター No.16

新型コロナウイルス感染症パンデミックを振り返る
日本学士院会員 喜田 宏

2019年11月に中国武漢市で認められた肺炎集団感染事例に始まる新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)感染症(COVID-19)は、これまでに7億6千万を超える人に感染し、約700万人を死亡させた未曽有のパンデミックを起こし、世界を翻弄した。

筆者はWHOの国際保健規則COVID-19緊急委員として、2020 年1月22日と23日に開催された第1回緊急委員会(EC)電話会議から2023年5月4日の第15回オンライン会議すべてに出席して、パンデミックの克服に向けた議論に参加した。各ECで議論された内容のまとめがWHOのホームページにStatementsとして委員名簿と共に公開されている。

EC会議毎に秘密保持契約を交わしたので、メディアの取材は、すべて断っていた。COVID-19のECを卒業し、国際機関と各国の限界を知った今、日本の対応を改善するための意見を述べたい。

第1回のECでは、中国の委員から、「本病は武漢の海鮮市場で発生した人獣共通感染症で、人から人への感染は僅かであり、収拾に努めている。」との説明があった。私は、「人獣共通感染症対策の要は、病原体の自然宿主と人への伝播経路を明らかにすることである。先ずCoV-2の人への伝播経路を明らかにするために、海鮮市場の動物、まな板、下水と人の疫学調査を実施すべきである。」と述べた。ところが、翌23日に武漢の海鮮市場は閉鎖され、立ち入り禁止となったことに驚いた。23日のEC会議でも納得できる情報が提供されなかったので、1週間以内に正確な情報を収集した上でEC会議を開催するよう提案した。

2020 年1月29日に開催された第2回EC会議で本感染症が国際的に懸念される公衆衛生危機PHEIC (Public Health Emergency International Concern) 状態であることが確認された。WHOの事務総長のDr. Tedrosはこれを受けて1月30日にPHEIC宣言を発出した。

2021年7月15日に開催された第8回EC会議では、研究、診断、変異ウイルス株とワクチンに関して議論された。その中で、2回のワクチン接種の上に3回目をブースターワクチンとして接種する提案が先進国から出されたことに対する意見を求められ、私は、「ワクチンは、2回接種で、感染による発症・重症化予防効果を示すものでなければならない。2回接種後に感染した場合こそ真のブースター効果が期待される。ワクチンを3回以上接種する意義はないものと考える。ワクチンが余っているなら、足りない国に回すべき。」との意見を述べた。その後これがWHOの方針となった。日本では7回も接種を受けた人が大勢いることを恥ずべきではないか。

2021年10月22日の第9回のEC会議では、ワクチンの接種率が5%に満たない某国の委員がCOVID-19の致命率が季節性インフルエンザと同程度となったので、PHEIC宣言を撤回すべきであると提案した。私はそれに強く反対し、次の意見を述べた。「死亡率などは、数値のみに頼ってはいけない。感染が全世界に拡がっているので、一般の人々の免疫状態が、重症化と致命率を低く止めていると捉えるべきである。免疫機能障害者や高齢者の重症化と死亡例が減少していないことに注意を払うべきである。さらに、世界の感染者数は増加している。ワクチンと治療薬の開発が未熟である。このウイルスの病原性が高いのは、Sタンパクにフリン開裂部位(塩基性アミノ酸の連続配列)があるために、全身感染を起こすからである。この部位が、何時、何処で如何に挿入されたかを明らかにしなければ、本当の解決につながらない。」

これが他の委員の賛同を得て、PHEIC宣言の終了提案は却下された。以後2023年1月7日の第14回ECまで反対を続けた。同年5月4日の第15回委員会で、委員長の指名に応え、PHEICの終了を是とする発言をした。その理由として、感染者数の増加が減速し、良い治療薬(ゾコーバ: シオノギと北大の共同研究成果)が開発・実用化されたことに加え、良いワクチンの開発に目途がついたことを挙げた。ただし、PHEICの解除にあたり、次の条件を付すべきことを強調した。すなわち、「SARS-CoV-2の起源が不明のままであることと、そのSタンパクにフリン開裂部位の挿入があるために全身で増える特徴があることから、引き続き警戒を怠ってはならない。また、流行が終わったわけでもない。」5月5日にTedros事務総長は、これに沿ったPHEIC 終了宣言を発出した。

WHOのECは、19カ国から1人ずつ選ばれた専門家で構成されていた。さらに、国際機関や研究所を代表する専門家12名のアドバイザーが参加して活発な議論が展開された。また、会議の冒頭でWHOの専門職員5名が、それぞれ10 分間で現時の世界の疫学情報を要領よくまとめて提供し、その後にECの議論が3~4時間にわたり進められた。

これまでの日本のパンデミック対応には不安を感じる。政府と専門家会議のやりとりだけで対策を決めているのは日本だけである。対策も研究も主に米国に追従している。日本の関係予算は極めて少ないので、米国の真似はできない。日本独自の研究と対策を推し進め、世界を先導する術があるはずである。産・官・学(特に基礎、臨床、病理、免疫アカデミア)の連携で的確な研究と対策を進めなければならない。次のパンデミックに備えて、システムを改善、確立しておくべきものと考える。