日本学士院

PJA ニュースレター No.14

インタビュー 吉野 彰  (聞き手) 白川英樹

 軽量で長持ち、繰り返し充電ができるリチウムイオン電池は、私たちの日常に欠かせないスマートフォンやノートパソコンといったIT機器だけでなく、環境問題の解決に大きな役割を果たす電気自動車、太陽光発電や風力発電、「はやぶさ2」などの宇宙探査機にまで幅広く使われています。リチウムイオン電池を発明、開発した吉野彰・旭化成名誉フェローには、2019年のノーベル化学賞はじめ数々の賞が贈られました。研究のきっかけは、白川英樹・筑波大学名誉教授が発明した導電性ポリアセチレンとの出会いだったとか。本日は、2000年ノーベル化学賞を受賞した白川名誉教授にインタビュアーをお願いし、吉野博士の開発にかけた思いや、今後もますます期待されるリチウムイオン電池の展望などについて、ともに語っていただきました。

吉野彰氏と白川英樹氏

京都大学工学部石油化学科の第1期生

白川:ノーベル賞の受賞、おめでとうございます。

吉野:ありがとうございます。あっという間に2年が経ちました。

白川:お聞きしたいことはたくさんありますが、始めに吉野さんが自然科学 に興味をお持ちになった子ども時代のことからお話しいただけますか。

吉野:はい。私が生まれたのは、のちに万国博覧会が開かれた大阪の千里山という所です。子どもの頃は竹藪だらけでしたから、トンボやカブトムシを獲る外遊びの中で湧いてくる素朴な疑問、たとえば池の周りをぐるぐる回っているトンボに縄張りがあることとか、様々な自然現象に好奇心を持つようになりました。小学校4年生の時、担任の先生から「面白いですよ」と勧められて読んだのが、マイケル・ファラデーの『ロウソクの科学』という本です。難しい現象を子どもにもわかりやすく説明した内容でしたので、自然科学の中でもケミストリーは面白そうだなと感じ、化学の道を選ぶことになったのだと思います。担任の先生は生物系出身だったと記憶していますが、「物が化けるから化学と呼ぶんです」と教えてくれました。確かに『ロウソクの科学』でも熱によって蝋が溶けたり、炎の形が変わったりする理由が書かれていて、強く印象に残りましたね。

白川:自然に親しむことと化学が好きになることはなかなか結び付きませんが、火が燃えるのは酸化反応で純粋な化学だから、やはり『ロウソクの科学』の影響が大きかったのですね。京都大学の理学部ではなくて工学部に入ったのは、どんな理由からですか。

吉野:うーん、やはり純粋な学問より、研究で何かを見つけ、それを商品として世の中に出すことのほうに躍動感を覚えて、工学部を選んだように思 います。

白川:当時の工学部は、受験時から各科に分かれていましたか。

吉野:はい。化学系は工業化学、石油化学、合成化学、高分子化学、化学工学の5学科あったと思います。私はちょうど燃料化学が石油化学に名称が変わった時の第一期生なんです。正直に言いますと、燃料化学から石油化学に名前が変わった時に定員が30名から50名に増えたんですよ。志望理由の一つはそこなんです(笑)。これなら受かりそうだなと。また、当時は福井謙一先生1もいらっしゃったし、名前が変わったばかりで最先端の学問分野をやれるということも選んだ理由の一つでした。

白川:具体的に卒業研究につながるところに配属されるのは3回生からですか。

吉野:一応、3回生から配属されますが、実際の卒業研究は4回生の後半だけですね。

白川:米澤貞次郎2先生の研究室に所属されたのですね。大学院生には社会に出るか、研究者として大学に残るかの選択がありますが—。

吉野:どちらかというと、研究して何か新しい物を作って世の中に出すことに憧れていましたので、修士課程までは行きましたが、民間でやっていきたいという思いがありました。

白川:それで旭化成に入られたわけですね。

吉野:はい。私が入社したのは1972年で、世界的にもあらゆる産業が時代の変わり目にあり、特に化学産業は従来の汎用的な化学素材から新しいものをつくっていかなければいけない転換期でした。それまで繊維産業だった旭化成も、住宅や医薬などの新規事業を始めていて、新しい分野に挑戦していく気運が、特に旭化成にあったので選んだように思います。

たった1人で基礎探索研究を手がける

白川:旭化成に入社された当初から基礎研究的な仕事に就かれたのですか。

吉野:ええ。多分、どの会社も、技術系で入れば、研究、製造、場合によっては営業、技術、いろいろな部門に配属されるわけですよね。研究部門にもさまざまなステージがあります。普通は1つの研究所の中でプロジェクト的なテーマが1つか2つあり、製品化するための研究が90%くらいでしょうか。仮に100人いる研究所であれば、90人は既に動き出しているテーマに関わり、残りの10%がいわゆる基礎探索研究をする。基本的には1人ですね。

白川:1人でやるのですか。

吉野:ええ、基本は1人です。基礎研究グループはあるのですが、実際には1人が1つのテーマを受け持って、次の大きなプロジェクトにつながるシーズを生み出すことが使命。私はそこに配属され、結果的に基礎探索研究を続けることになりました。

白川:それは「2年を目途に」ということだそうですが、2 年という明文化されたものがあるのですか。それとも暗黙の・・・。

吉野:明文化はされていませんが、確かにその通りだと思うんです。まず自分でプランを立て、いろんな実験設備を準備するのに1年はかかります。それから研究を始め、うまく行っているかどうかというのは2年目には判断ができ、思惑通りに進んでいなければ別の新しいものを考える。そういうサイクルになりますから。

白川:次から次へ。それが4回ほど、ということでしたか。

吉野:そうです。3つ目の研究テーマが中断したのが1981年で、4つ目のテーマを考えなきゃいかんなと思っていた、ちょうどその時期にポリアセチレン3に出会ったんです。たまたまその年の始めに京大を訪問する機会があり、米澤先生にご挨拶に行きました。その時、試験管に入ったポリアセチレンを見せていただいたんです。山邊時雄先生4のグループが作られたものだと思うのですが、あの外観を見て、まず感動しました。

白川:誰が見てもそうですね。有機物だとは信じられない。

吉野:それで、4 番目のテーマとして取り上げることにしました。ですから、企業の研究としては少し異質といいますか、あくまで素材をベースにした研究で、何に使うかはその次に考える。テーマを提案し、装置を作るために半年くらい京都に通って山邊先生に教わりました。当時の私の研究所が神奈川県川崎市にありましたので、川崎でもポリアセチレンを始めて研究テーマにするところからスタートしたわけです。

白川:ポリアセチレンに興味を持たれたのは、電池になると考えていたからですか。

吉野:いえいえ、ポリアセチレンにはいろいろな機能があるので、最初は自分で作ってどういうものかを確認し、それから何に使うのが最適かを考えていくというアプローチですね。

白川:つまり、光が出るといった、いろいろな用途があるから、そのうちのどれかが何かの製品につながるといった感覚ですか。

吉野:ええ。企業の研究のアプローチには2つあります。一つは既存の技術を固めて何に使えるかを考える。もう一つはその逆で、世の中に今、こういうものが必要とされていて、自分の手元にはまだ何の技術もないけれども、求められているものにつながる技術を作っていくという2通りのやり方です。ポリアセチレンは、まず技術からスタートしました。当時は太陽電池になる、その導線の代わりになる、場合によっては常温超電導になるかもしれないといった多くの可能性があり、それを1つ1つ研究する過程では当然、各々の産業分野でどんな状況があるかも調べていきました。

素材開発メーカーの強み

白川:私はいつも不思議に思うのですが、電池になることは1977~1978年頃にはもう、いろいろな所で研究が行われていて、多くの場合は陽極でヨウ素とか、いわゆるアクセプター・ドーピング5によるということでした。私自身も、ポリアセチレンはグラファイトに似ていて、グラファイトが2次元、実際にはグラフェンが積み重なって3次元になっているのだけれども、まあ2次元といっていい。それが1次元になったものがポリアセチレンだから、層間化合物ということで、アクセプターでもドナーでも出来るのだろうと思っていたんですね。実際に私自身もカリウムを入れてみたことがあるのですが、全く変化がなくて、あきらめちゃったんだけれども、実際に電気化学的にもアクセプター・ドーピングもできるし、ドナー・ドーピング6もできる。だから、両極ともポリアセチレンを使って電池ができるということを研究者はだいたいわかっていた。ところが、ドナー・ドーピングにカリウムやリチウムを入れたものはものすごく不安定で、空気中に出すとバッと火がついて燃えるほどだったんですね。世界中でアクセプター・ドーピングの電池一色で研究が進んでいた中で、あえて非常に不安定なドナー・ドーピングをされたのは、なぜですか。

吉野:理由は2つあります。1つはポリアセチレンが電池に使えることは既にわかっていたので、当時の私はまだ電池業界と全く関係のない立場でしたが、状況を調べると、新型2次電池の研究開発が非常に盛んに行われていたものの、ことごとく商品化に失敗していた。その原因を調べていくと、やはり負極に問題がありました。当時は金属リチウムを使っていて、負極に基づく問題から商品化に至っていなかった。従って、新型2次電池を本気で商品化するため新しい負極の材料を求めていたのが当時の電機業界でした。それで、ポリアセチレンをドナー・ドーピングで負極に持っていくのが面白そうだなと考えたのが1つ。もう1つは、今おっしゃったように、リチウムにしてもドナー・ドーピングしたら確かに不安定です。

白川:はい。

吉野:ですけれども、よく観ていきますとね、確かに空気中の酸素や水分に触れると不安定ですが、完全に密閉した状態で置いておくと、意外と安定だとわかった。その理由として、私が考えたのはアニオン重合7のイメージなんです。アニオン重合は非常に難しいですよね、ほんのちょっとした水分でもすぐ止まってしまう。しかし、完璧に水分や酸素のない状態ではまさに末端アニオンが生きている。

白川:そうです。リビング重合8ですね。

吉野:ええ。リチウムをドーピングしたポリアセチレンって、アニオン重合みたいなイメージかなと。ちゃんとした理想的な状況さえ整えてあげれば、アニオン・ドーピングするよりはカチオン・ドーピングしたほうが安定するのかなと。もう1つ確信したのは、アニオン・ドーピングするとフワーと伸びて膨れていくじゃないですか。確かにClO4みたいな大きなアニオンが中に入っていくと、ものの見事に膨れて伸びる。不思議だったのは、リチウムドーピングしても全く膨れず、変化しないんです。つまり、リチウムイオンというのは本質的には安定で、しかも非常に居心地のいい場所にいる。そういうことで、業界が新しい負極材料を求めていたという事実と、リチウムドーピングしたポリアセチレンが一見不安定だけれども、実は非常に安定しているという2つの点ですね。

白川:もちろん、起電圧が高いということも織り込み済みですね。

吉野:ええ。

白川:製品になる過程で、随分、いろいろな障害があって、対極としてコバルト酸リチウムに行き当たったのは、グッドイナフ9さんの文献を見られたのでしたね。

吉野:はい。

白川:その時はまだポリアセチレンが対極にあったわけですね。ポリアセチレンとコバルト酸リチウム。具体的にはそれで開発研究をずっと進められた。ポリアセチレンは有機物だから、金属の数分の1の重さで電池ができるなら軽くていいだろうと私は思ったのですが、軽ければ体積が大きくなる。軽くて嵩張るから、吉野さんもほかの材料を探すことになり、苦労されたのですね。どうやって他の材料を連想されましたか。

吉野:おっしゃるとおり、ポリアセチレンを負極に使ってできた新しい電池をお客さんに持っていったところ、「重量ベースでは合格だけど、体積ベースでダメだ」と言われたわけです。原因はポリアセチレンの比重にありました。比重が2以上なら、計算上は小型と軽量が両立する。ポリアセチレンと同じような共役二重結合からなる化合物で、比重2以上ある構造というと、カーボン材が浮かんできたんです。

白川:なるほど。

吉野:それでカーボンを集中的に調べて評価していきました。当時、世の中にあったカーボン材料は良くなかったのですが、たまたま旭化成の別の研究所で「VGCF」という新しい炭素繊維の研究グループがあり、そのサンプルをもらって電池として評価する指標があった。それが1つの大きなきっかけになりました。

白川:その炭素は、なんというのですか。

吉野: Vapor phase grown carbon fiber.

白川:気相成長法炭素繊維ですか。

吉野: ええ。水素とベンゼンを1000℃くらいで触媒を塗ったところに通します。気相からいきなり髪の毛が伸びるように、カーボンとしての結晶構造が電気の負極として結果的に良かったのだと思います。

白川:旭化成はそれをどういう製品として開発したのですか。

吉野:開発というより、繊維の研究。炭素繊維という新しい研究テーマでした。

白川:ああ、なるほど。それでよく調べたら、飯島先生10が開発されたカーボンナノファイバーそのものだったというわけですね。

吉野:はい、そうです(笑)。VGCFというのは100µmくらいの繊維で、その中心にナノレベルのチューブが入っていたということです。

白川:つまり、探索は広範囲にわたったけれども、自社製品に最良の物があったのですね。

吉野:ええ。新しい製品を開発して成功する時には、材料の開発が有利ですね。最終的にはそれが製品につながらなくても、ブレイクスルーのきっかけになるのは、やはり材料です。

白川:すぐれた素材があったということは、材料開発メーカーの特色でもあったと。

吉野:はい。特に研究段階での材料ですから、他社だと絶対に無理。製品になれば入手可能ですが、別の企業の研究レベルの物質同士をくっつけるのはあり得ない話なので、そういう意味では材料を自社で開発できるというのは重要な点でした。

白川:なるほどねえ。利点と欠点を考慮して製品ができるのでしょうが、現在はモバイル機器の電池、つまり小型で高密度の電池に進んできました。もう一つ、できるだけ化石燃料を使わないという面での太陽電池や風力発電などは時間的にも不安定な電源ですね。バックアップするためには嵩張っても大容量の電池。昼貯め込んで夜出すといった太陽電池などにポリアセチレンがいいんじゃないかと思ったけれども、現実にはそうはいかなかった。

吉野:モバイルITの電源として考える場合、重力も重要ですが、あの狭いスペースに入らないといけませんので、まずは体積。ただ、おっしゃったように、今はそれ以外の用途が出てきました。大容量も、ですし、最近、真剣に検討されているのが飛行機やグライダーです。携帯電話メーカーにとって中継基地が地上にあることはやっかいな問題で、まだまだつながりにくい所がありますし、中継基地をいっぱい作っていくのも大変なので、空に浮かべようという計画が今、具体的に動いています。成層圏辺りまでグライダーとプロペラ機を飛ばすという用途が重要視されてきているんです。この場合、空を飛ばないといけないので、重量最優先。そうした新しい用途についても研究が広がっています。

白川:なるほどねえ。

研究開発における3つの壁

白川:私は大学しか知らないし、日本学士院会員の皆さんの多くも大学に所属されていると思うので、企業での研究についてもう少しお聞きしたいと思います。研究の目が出る過程で、「悪魔の川」「死の谷」「ダーウィンの海」という3つの障害を乗り越えないといけないとおっしゃっていますね。それは、企業の研究開発では今も普通に言われていることですか。

吉野:実際にそういう言葉は使わなくても、3つの壁を乗り越えないといけないところは基本的に同じですね。「悪魔の川」というのは、基礎探索研究で1人、孤独な中で新しい物を見出す苦しみ。それがうまくいった時、人も増えて1つのプロジェクトになる。そして実際に商品化しようとした時、いろいろな問題が出てくるのが「死の谷」。その谷を乗り越えたら世の中に出るのですが、すぐに売れるわけではない。マーケットを立ち上げるための研究もあります。3つの壁、それぞれに苦労はありましたが、一番しんどかったのは最後の「ダーウィンの海」ですね。これは非常に悩ましく、真綿で首を絞められるようでした(苦笑)。

白川:自分の力だけではどうしようもないですからね。

吉野:そうなんです。そういう場合、解決の糸口は悩んでいる人同士のネットワークです。そこで、お客さんの立場の人も含めた本音が聞ける。商品化しても世の中の人に全く関心がなければあきらめればいいのですが、大抵は「関心はあるけど、まだ買わないよ」というパターン。振り返ってみると、やはり皆、待っていたのだと思います。新しい物を最初に使うのはリスクがあるでしょ。万が一、トラブルが起きた時のことを考えて、「先頭は嫌なんだよ」といった話が出てくる。「誰かが使い始めたら使おう」という時期が3~4年はあり、誰かが先頭を切って使い始め、それが評判良ければ、皆が一斉にドーンと動いていく。

白川:その辺は、携帯電話の発展と軌を一にしていたということでしょうか。

吉野:まさに、おっしゃる通りです。

白川:大学の研究者側から見て、不思議に思うことがもう一つあります。それは、旭化成でリチウムイオン電池の基礎が出来上がり、商品につながったのだけれども、旭化成は商品としてリチウムイオン電池を製造していない。それはどういうわけですか。

吉野:それはですねえ(笑)、リチウムイオン電池が出来た時、社内でいろいろな議論がありました。電気事業に進出するのも1つの案でしたが、その分野において旭化成は素人だから難しいだろうと。もともと材料メーカーなので、電池においても材料ビジネスに特化した方がいいのではないかという議論。もう1点が技術売り、いわゆるライセンスビジネスですね。じつは電気事業そのものは、旭化成も10年くらいやっているんです。

白川:そうなのですか。

吉野:ええ。ただし単独ではなく、東芝と合弁会社を作ってやっていました。電気事業は変化の激しい業界ですし、親会社が2つあると意思決定に時間がかかってうまくいかない。それで、最終的には東芝に100%委譲し、旭化成は電気事業から撤退した形になりました。材料ビジネスについては単独でやってきて、特にセパレーター事業は大きく成長しました。ライセンスビジネスも他の電池メーカーにライセンスを売ることで成功しています。

地球環境問題への貢献

白川:携帯電話ができた時は、私も大きな衝撃を受けました。しかも主要電源から切り離され、自分で電源を供給する。その当時は、鉛電池でしたか。

吉野:あの当時、小型密閉鉛電池というのがありました。かなり大きくて、電池をポケットに入れておいて、携帯電話を使いたい時につなぐ。その次がニッケルカドミウム電池。当社ではその2つが主流でしたが、重いし嵩張るので困っていたわけです。

白川:結局、今日に至るスマホがリチウムイオン電池の用途としては一番大きいのですか。

吉野:数年前まではそうでしたが、現在は電気自動車向けのほうが圧倒的に大きいですね。

白川:大型ということですね。しかし、広がるきっかけは小型化が先にあった。それでも、社会的要求として大型化する必要はあったと思います。

吉野:もちろんです。一般の人が買えるような電気自動車が出たのが2010年、10年ほど前です。リチウムイオン電池が小型のモバイルIT向けに出てから、ちょうど20年目。市場での安全性も含めた20年の実績が第一にあると思います。当然、技術も向上するし、コストも下がる。それで、「じゃあ、自動車にも」ということになったのではないでしょうか。いきなり車からは難しいので。

白川:リチウムイオン電池と言うくらいだから、コバルト酸リチウムというリチウム資源を使うわけですね。リチウムは普遍的にあるとはいえ、まとまって出ることは極めて限られ、それほど豊富にある金属ではない。資源という面での見込みはあるのでしょうか。

吉野:世界で見た時、2025年までに新車販売台数の15%くらいが電気自動車になるという読みです。確かに資源の問題はあるにせよ、絶対量としてはなんとかなるレベルですが、将来、15%が100%になった時には当然、ご指摘のようにコバルトを含めた資源問題は間違いなく出てくるでしょう。ただ、車の場合はリサイクルがかなり楽で、実績で言うと、鉛バッテリーを搭載している現在の車のリサイクル率は約99%なんですよ。

白川:ほう、そうですか。

吉野:なぜかというと、車は廃車手続きが法律で決まっているので、必ず決まった場所に集まるんです。集めてさえもらえれば、あとは鉱山会社の仕事みたいになってくる。一方、携帯電話やコンピューターはどこにいくかわからない(苦笑)。電機工業会でもリサイクル活動に力を入れていますが、いったん出回った物を回収するのは難しいんですね。また、地球環境問題を考えた時、リサイクルが出来ない製品はこれから間違いなく売れなくなります。ですから、電池に関しても資源問題は大きな課題ではありますが、逆にリサイクルが定着していくと考えています。

白川:そうしますと、企業の開発としてはリサイクルされやすい商品が重視されると。

吉野:そうです。コバルト、マンガン、ニッケルといった金属類は集めさえすれば再利用しやすいのですが、プラスチックのリサイクルとなると結構しんどいですね。

白川:その通りですね。リチウムの話に戻ると、当然、同列のアルカリ金属としてのナトリウム、カリウムがあるわけで、この2つはほぼ無尽蔵。それを使うと起電力は下がるけれども、資源的には全く問題ない。そういう点で、リチウムイオン電池が、たとえばナトリウムイオン電池に置き換わるといった可能性はあるのですか。

吉野:今後の研究次第でしょうね。特にナトリウムについてはかなり研究が進んでいます。ただ、やはり裸のナトリウムイオンとリチウムイオンで比べると、ナトリウムはイオン半径が大きいので、そのハンディキャップを克服できるかどうか・・・。材料開発次第でしょうね。

白川:いずれにしても、今やリチウム電池はなくてはならないものになり、今後は大容量のバッテリーが求められるということですね。今後の開発の見通しはいかがでしょうか。

吉野:大容量とおっしゃるのは、電池としての大きさですよね。これについては現在、2つの動きがあります。アメリカのテスラという電気会社がやっているパソコン用の丸い電池を1万個ほどつなぐやり方と、1つの電池の大きさを50倍ほどにするという2つのアプローチの方法です。技術的にはほぼ出来上がっているのではないでしょうか。

白川:吉野さんは、今後もリチウムイオン電池の研究に関わっていかれるのですか。

吉野:もちろん、そうです。携帯電話、スマートフォン、コンピューターへのマーケットが一応出来上がり、次に電気自動車という新しいマーケットが今、動きつつある。その延長線上に蓄電システム、地球環境問題へとつながっていく流れで動いていますので、やらなければいけないことはまだまだ沢山あると思っています。

白川:もはや一企業の問題ではなく、国の問題になりますね。

吉野:そうです。現実に政府のグリーンイノベーション戦略があり、カーボンニュートラルにつながる研究に対して、産業界を中心にテコ入れし、財政的な支援を含めて進んでいます。

白川:各国が国を挙げて取り組んでいると思いますが、先端を走っているのはどこですか。

吉野:まだ同列でスタートラインではないでしょうか。カーボンニュートラルその他、いろいろな議論がされていますが、実際に動き出すのは2025年辺りと考えています。今はそのための準備期間。

白川:でも、その準備期間が一番大切なのでは・・・。

吉野:おっしゃる通りです。2025年にどれだけスタートダッシュがかけられるかだと思います。ちょうど2回目の大阪万博の年ですね。

白川:ではぜひ、そこへ向けて、さらに事業化が進められるようにお願いします。

吉野:はい。ありがとうございます。

白川:最後に若い研究者に何かアドバイスがありましたら。

吉野:私がポリアセチレンに始まる研究に取り組んだのは、33歳の時でした。歴代のノーベル賞受賞者が受賞理由となる研究を何歳から始めたかという統計があり、平均すると35歳前後と聞いています。確かに、ある程度の知識が身に付き、ある程度の権限も与えられ、そこから新しいことに挑戦して失敗したとしてもまだリカバリーのチャンスがある頃。ですから、若い時は文句を言わずに実力を溜め、充電しておきなさい。そして35歳前後になったら、思い切って大きなことにチャレンジしなさいと言いたいですね。今は、若い研究者にとってハッピーな時代です。私の時代は「マーケットがあるのですか」と聞かれても答えられなかったわけですが、今はカーボンニュートラルがこれほど注目され、サステイナブルな社会を築いていこうという目標が決まっていて、マーケットはある。それを実現する技術ができていない状況なので、こんなに楽な開発はありません。あとは自分の力をどれだけ発揮できるか。そこで良い技術を生み出せたら、世界中から尊敬されますよ。

白川:その通りですね。本日は大変貴重なお話をありがとうございました。


吉野  彰(よしの あきら)

1948年、大阪府吹田市生まれ。京都大学工学部石油化学科卒、同大学院工学研究科修士課程修了。工学博士(2005年大阪大学)。1972年、旭化成工業(現 旭化成)株式会社入社。同社の電池材料事業開発室長、吉野研究室長、リチウムイオン電池材料評価研究センター理事長などを経て、2017年より名誉フェロー。名城大学大学院理工学研究科教授、京都大学および岡山大学の名誉博士。2019年ノーベル化学賞をはじめ、The Charles Draper Prize(全米技術アカデミー)、日本国際賞など多くの賞を受賞。紫綬褒章、文化勲章を受章。日本学士院会員。

白川 英樹(しらかわ ひでき)

1936年、東京生まれ。東京工業大学理工学部化学工学科卒。同大学院理工学研究科で博士号取得。同大資源化学研究所助手、米国ペンシルバニア大学博士研究員を経て、筑波大学教授(現名誉教授)。1984年、ポリアセチレンをフィルム状に合成する方法を開発。さらに金属に匹敵する導電性を高めることに成功し、「プラスチックは電気を通さない」という常識を破った。この「導電性高分子の発見と発展」により、2000年ノーベル化学賞、高分子化学功績賞などを受賞。文化勲章受章。2001年、日本化学会特別顕彰。日本学士院会員。